【西別川あきあじまつり】 10月上旬 (日曜日)
 別海町の三大祭りの一つとして、昭和36年からスタート。
 あきあじまつりは献上鮭として名高い西別鮭を大いに賞味してもらい、イベントを通じて消費拡大をはかり、地域産業の振興発展と活性化を図るという趣旨で始められ、サケの試食会や即売、つかみどりなど多彩な内容で繰り広げられる。
 当初西別川河口のサケ、マス捕獲場で行われていたが、年々規模が大きくなるにつれて別海市街の郊外(農村広場)で行われるようになり、.今日では西別川河口の別海漁業協同組合前の特設会場で盛大に実施されている。
 会場では、ビン踊りや鮭の皮で作った豊漁太鼓などの郷土芸能、サーモンダービーなどのアトラクションも行われる。西別鮭を食べながら深まる秋のひとときを楽しもう。





【献上鮭の由来】
 今を遡ること360年前の昔、西別川の鮭はアイヌによって獲られ、干鮭にして食料あるいは交易品として松前地方に送られていた。やがて、当地方に倭人が進出してくるに伴い鮭を塩漬けにする方法が開発され、いよいよ塩引鮭(新巻)として登場した。
 西別川の鮭が文献に載ったのは、天明年間のはじめで、当時すでに西別は鮭の豊漁場とされており、幕府御用船によって江戸まで送られていったのである。しかも、江戸において「秋味」の名さえ付けられていたともいわれている。
 また、この年代に西別に来た最上徳内は、「魚皮斑点を生せず、緑色にして腹白く・・・・・味最も美味にして」と絶賛している。一躍名声を高めたのは、寛政12年に西別に来訪した戸川安論で、この塩引鮭を仕立て将軍に献上してからで、以後将軍の要請により大奥分も含めて毎年献上され幕府まで続いた。
 なお、献上鮭の仕立ては非常に厳密を極めた行事であり、役人自らが体を清めた上で特別の製造小屋の中で、鮭の大きさを2尺2寸にそろえ、15本入りと10本入りの箱に笹を敷いて荷造った、といわれている。