茶路めん羊牧場便り

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ラムレター 第9号(98年9月・一部ばっすい)

茶路めん羊牧場 武藤 浩史
発行 小西 徹

 

『羊まるごといのちを頂く
ワークショップ』顛末記

 今年のゴールデンウィークに羊丸ごと頭の先から内臓まで用いて頂いてしまうという、ワークショップを実行した。ことの起こりは帯広で面白印刷屋を主催する「ねこまたや」の野田さんと私が、京都のスピナッツから自費出版する料理の本の打ち合わせをしていたときに、「いろんな部位を用いた羊料理を紹介するといっても、やっぱり羊一頭解体してすべて残さず食べてこそ羊を知ったと言えるんじゃないか。子供たちに、ぜひ命の尊さを身をもって経験させておきたいね。」という話が持ち上がり、「よっしゃ、いっちょう頑張るか」と意気投合。かくして、怪しい羊男(ひつじおとこ)と「ねこまたや」の強力コンビが子供に夢を与えるワークショップの準備にとりかかった。案内のチラシ作りは「ねこまたや」。羊の枝肉の解体や内臓の処理、羊料理は羊男に。羊の屠殺については羊男の後輩で、若くてパワフルな酒井君がモンゴルの留学生より直伝のモンゴル式屠殺方法を指導してくれることになった。後は実行あるのみ、と思っていたら問題が続発した。

◎解体をめぐるお役人との攻防

 先ずは日本では法律で許可を受けた屠場以外で、家畜を屠殺することは違法行為となる。これは肉を衛生的に処理し、疾病等の検査を専門の検査員が行い、血や皮や内臓などを適切に廃棄処理し、屠殺後の枝肉を適切に保管する為には設備の整った屠場で処理されなければならないからである。しかし、飼育者が自ら育てた動物の命を絶ち、ありがたく頂戴する権利が奪われたような気がする。よく人から「こんな可愛い羊をお肉にするなんて、考えられない」とか、「屠場へ連れていくのはやはり嫌でしょう」とか言われるが、そんな事とんでもない。立派に成長してくれたからこそ、皆に喜んで食べていただきたいし、家畜を飼うことは家畜を出荷して、生計をたてており、よい製品を作る最後の過程が屠殺という大事な仕事である。できれば、自分で処理して責任を持ちたいと考えているぐらいだ。肉屋や魚屋に切り身で並んでしまえば、可哀相から美味しそうに変わってしまう感覚が、都合よすぎるのではないか。
 実はそんな疑問こそが、今回のワークショップのテーマでもあった。すなわち、衣食住の生活の基礎、とりわけ「食」生活の土台を形成しているものが、共に生きる生物の命の恩恵であり、命を奪うということは、決して残虐な行為でなく、尊いことであり、だからこそ無駄に命を奪ってはならないことを学ぶことにあった。ところが、この羊の命を頂く部分が違法行為となるので、屠殺は中止せざるを得なくなり、屠場から引き取ってきた枝肉と内臓を処理するプログラムに変更することで妥協することにした。
 ワークショップの会場として教育委員会管轄の野外研修施設を借りる予定にしていたところ、教育委員会にこのワークショップが教育的知見から少し問題があるとみなされ、次々と教育委員会の皆さんの訪問を受け、議論を繰り返した。その意義のない論議を一部再生すると、こんな具合になる。

★お役人 「生きた可愛い羊を牧場で見た後で、屠殺後の状態を見せるのは子供たちがショックを受けて逆効果にならないか」
☆羊男 『親の同伴が基本で、参加希望者にはどんな内容か十分に伝える。その上で参加するのだから、まったくの無防備な姿勢で、過大なショックを受けることにならない』
★お役人 「事前に教室での研修を重ねて、子供たちには予備知識を理解させてから実施研修にはいる方法はどうか」
☆羊男 『私が学校の教師ならば授業の中で、教えることもできるが、その立場ではない。今回は不特定多数に参加させるわけでなく、親が理解した上での親子参加であり、嫌ならばもちろん参加しないはずだ。ショックを受けるといわれるが、屠殺後の枝肉と内臓からのスタートであり、血だらけの状態を見せるわけではなく、そんなに残虐な教材とは思わない』
★お役人 「宿泊は許可するが、施設内での一切の解体や調理は認めない」
☆羊男 『解体や調理がだめというならば、キャンプでの野外料理もできないのか?事実、同じ施設で、羊の丸焼きをしたこともある。大体、丸ごとの魚を捌く行為とどこが違うのか』
★お役人 「魚と肉は違う」。

ここまでくると、理論より感情が先立ち、またそれぞれの感性の相違にまで及ぶことなので理解してもらうことをあきらめて、妥協点を見い出すことにして、施設内には枝肉そのものや頭や内臓の原型は持ち込まないで、牧場の加工場で、食材にまでしたものを持ち込む条件でようやく使用許可をとりつけることができた。

◎命ある羊は死して胃袋に納まる

 さて、5/3朝、スタッフを含め21人の参加者(内子供6人)が牧場に集合。枝肉の分割と内臓の下処理からスタート。その後、野外研修施設「縫別(ぬいべつ)自然の家」へ移動。調理実習を開始。シシカバブ、刺身、ロースト、ソーセージと作り、夜、野外パーティー。手作り料理に舌鼓をうつ。翌日、調理実習を再会。シュウパウロウ、ギョウザ、つくね、モツナベ、そして、脳味噌と胸腺まで調理する。テーブルにずらり並んだご馳走で昼食会を開き、ワークショップは無事終了した。ワークショップに参加した3〜10歳の子供たちは初めて触る羊の臓器にショックをうけるどころか、積極的、精力的に遊び、脳味噌を取り出した後の頭を手に持って、記念撮影する始末。そこら中に血だらけの内臓が散在し、かなり激しい内臓臭が漂う中で、頭は皮を剥いであるとはいえ、ギョロリとしてにらみつけるような目玉を持つ頭を割って脳味噌を取り出すというスプラッタ・ムービーまがいの風景は、尋常ではないと思われても仕方がないかもしれない。しかし、それが残虐なことだとしたら、それを仕事としている私や、船に上がった鮭の頭を叩く漁師達は残虐非道なだけの人間となってしまう。みんなの毎日の食生活を成り立たせているものが何であるかを言葉ではなく、経験で教えることができれば、命の大切さや尊さが分かり、子供達の見る目が変わってきて、新たな未来への可能性が広がっていくのではないだろうか?
 子供達には内臓や脳味噌は、グロテスクと感じるよりも興味津々なものであり、心臓、レバー、舌を串に刺して、夜のバーベキューで抵抗なく美味しいと食べている様子を見れば、たくましさすら感じた二日間だった。
 以前、羊の解剖をしたときに頚動脈を切って屠殺したが、後輩の女の子が動脈からあふれ出る鮮血に手を当てて、返り血を浴びながら「温かいね」と笑顔でつぶやいた。客観的にはおぞましい光景かもしれないが、生き物にはまぎれもなく温かい血が流れているのであり、それが体温なのだと感じることは頭の理解から、体の理解へのストレートな感動だったのでしょう。ナイフを持って暴れる子供たちは、流す血の温かさ、生き物の証拠を知らないから簡単に刺せるのでは無いか?私は心理学者でも教育者でもないから、偉そうな分析はできないが、ただ実感として、「命ある羊は死して胃袋に納まり、我らの命を育む、今日の食卓に感謝して無駄なく命を頂くのである」という事実を正確に誠実に伝えれば、子供たちにも真意は通じるはずであり、痛みを知ることになろう

(武藤 浩史)

 


 

●●●ワークショップに参加した佐藤健太君(小学校2年)が「小学生新聞グランプリ」に、この時の体験を新聞記事にして応募してくれました。ラムレターの読者にも読んでもらおうと、彼の作った「わくわく新聞」の記事を掲載します●●●

いのちをいただく____

 今年の5月3日、ひつじを食べました。ぼくじょうには毛糸みたいな羊や、うまれたばかりのひつじがいました。ウンコやオシッコをしているところを見ました。たてものの中にはいりました。む藤さんがれいぞうこから羊を出しました。この羊は半分といっても、けっこうでかいでした。む藤さんがおにくのばしょのせつ明をしてくれました。体重を計ったり、おにくやほねをさわらせてくれました。
いぶくろは四つでした。一つのいぶくろははちの巣と言われているそうです。本当にはちの巣のようなものでした。それをこすり合わせて洗ったら、はちの巣のようなものがとれました。

のうみそにさわった!!!!!!

 ひつじのあたまをのこぎりできって、それでもきれなかったから大きなくぎみないなものと、かなづちでわりました。のうみそはラーメンみたいなもので、色は白っぽくて、赤や青の線がみえた。ゼリーみたいにプルプルしていました。
む藤さんが教えてくれました。
食べることはいのちをいただくことなのだとおしえてくれました。
みんな、ほかのいのちをいただいて、人間は生きているとおしえてくれました。
かんそう:楽しくておいしかったよ

(原文記事より抜粋しました−編集部)

 


 

「羊まるごといのちを頂くワークショップ」を開催して  byねこまたや のだたかし

 ラムレターにゾウの話?とお思いのむきもあるでしょうが、まあ聞いてください。アフリカゾウは一日に300ポンド(約130kg)もの植物を食うそうです。で、彼等は自分たちがサバンナで一番の"大飯喰らい"だということを自覚しているらしくて、干ばつが続くと自ら食べるのをやめて、たった一日で倒れ死んで行くのだそうです。なんと崇高で誇り高い"死"でしょうか。
 今回の『羊まるごと、いのちを頂くワークショップ』の案内に「私たちは皆、例外なく他の生き物の"いのち"をいただいて生かされています。『当たり前じゃないか!』とツッコミをいれるアナタはかなり正常」と書きました。私たちは実際に毎日"いのち"を頂いていきています。それだけでなく現代人はありとあらゆる環境破壊の結果として数え切れない"いのち"を死においやっています。それなのに、この期におよんでもなお「羊を殺すなんてかわいそう」「そんな残酷なことできない」とのたまう輩はやはり異常と言わねばならない。毎日近所のスーパーでパック詰めの肉を買って食べておきながら、「羊さんを殺すのはかわいそう」とのたまう。この愚かさは、地球の、自分たちが暮らすこの土地の自然のシステム(生態系)を守ることよりも人間界の銭勘定(経済的利益)を優先させてしまう愚かさに通じるのではなかろうか?小学生が殺害され、校長先生が「いのちの重さは地球よりも重い」などと弔辞をたれても、ナマの"いのち"を実感するのは難しい。人間社会が今、あまりに多くの"いのち"を犠牲にして成り立っているにもかかわらず、「羊さんを殺すのはかわいそう」といいのける人間のあさはかなセンチメンタリズム。このギャップを少しでも埋めたい。そんな想いを具現するささやかな第一歩が今回のワークショップであった。そして参加した子供たちの一人は「小学生しんぶん」に表現し投稿、別の一人は図画の時間に「羊を殺して食べるところ」という絵を描いた。ささやかながらこのワークショップに参加した子供たちは(地元の教育委員会の意に反して)羊を自分たちで解体し食べるということを、大人が想像する以上に自然に受け入れているようだ。今後もより多くの親子を巻き込んでナマの"いのち"を実感する企画を羊男・武藤氏と共に実現していきたいと思う。私たち人間がアフリカゾウなみの「いのちの感覚」を取り戻すのはいつのことかわからないが、「忙しい!忙しい!」と人間社会の雑事にのみ心奪われて暮らすのはやめよう!1日1回くらいは今なお極めて高度なバランスを保っている「いのちのシステム」に想いをはせる時間を持とうという自戒をこめて終わりにしたい。

 


 

羊子さんのクッキングメモ
−醋溜羊丸子(ツーリュウヤンワンズー)−

●酢豚のラム肉バージョンとでも言いましょうか。パッと見た瞬間、食欲をそそる一品。特にビールと合わせると最高。

(材料)4人分
(A)
●ミンチ肉300g●塩小さじ1/2●醤油大さじ1/3●コショウ少々●うまみ調味料少々●土生姜絞り汁少々●卵1/3コ●片栗粉大さじ1●ネギ(みじん切り)少々

(B)
●スープの素(120cc)●砂糖大さじ4●醤油大さじ3.5●酢大さじ2

●玉ねぎ中1コ(200g)●人参中1/2本(80g)●ピーマン2コ●干し椎茸4コ●タケノコ小1コ(120g)●パイナップル(缶詰)2枚●土生姜少々
●揚げ物用油●水とき片栗粉●ゴマ油少々

(作り方)

  1. ボールに(A)の材料を合わせ手でよく混ぜ、16〜20コに丸めて熱した油で揚げる。
  2. 玉ねぎ、人参、ピーマン、タケノコは乱切りし、人参は茹で、タケノコは湯通ししておく。干し椎茸は戻してそぎ切りにする。パイナップルは6等分くらいに切る。土生姜は千切りにする。
  3. 中華鍋を熱し、油を入れて生姜を入れ、2の野菜を火の通りにくいものから順次炒める。
  4. 3に(B)を加え1を戻して煮立て、水とき片栗粉でとろみをつける。火を止めて、ゴマ油を加えて仕上げる。

 

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羊仕切り

最終更新日: 1999/11/15.
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