茶路めん羊牧場便り

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ラムレター 第10号(99年12月・一部ばっすい)

茶路めん羊牧場 武藤 浩史
発行 小西 徹

 

2000年のテーマはモンゴル

◆モンゴルからの客人◆

 ある日我が家の玄関にモンゴル衣装に身を包んだ男が現われた。よく見ると10カ月前にモンゴルヘ旅だった酒井君だった。彼は眼りなくモンゴリアンに近いジャパニーズではあったが、ゴビの草原に立つ遊牧民の姿がワープして目前に現われたのだから、一瞬、日本語で声を掛けることに躊躇した。酒井君は、私が大学離代に作った羊好きの仲間のサークルである「シーブクラプ」の後輩で、卒業後、羊の牧場に勤務していたのだが、遊牧民の生活に憧れて、何の頼りもないまま彼の地へ渡った。モンゴル語の知識は、行きの飛行機で読んだ本だけという無謀な旅の始まりであったが、現地で出会った人々に世話になりながら遊牧地で遊牧民と一緒に暮らしてきたという。彼は日本にいた時から羊の級いには慣れていたが、視地では馬や羊や山羊の乳を搾り、馬に乗って羊を追い、ゲルに寝起きして、聞居していたお婆さんの賄いを担当して、客人としてではなく、家族の一人として暮らしてきた。たった一晩の話では、とても聞き足りない、千夜一夜物語のような体験談ではあるが、リアリティー溢れるアクションを交えた話からは風景や人々の動きが見えてくる。私には遊牧民に対する羊飼いとしての共通認識があるので、感覚的に伝わるものは大きかったのだが、彼の話の一部を紹介することにする。

◆◆自然に合わせ家畜に合わせるモンゴルの生活◆◆

 遊牧民の生活は周りの自然と融合して過去からの繰り返しを累々と積み重ねているようだ。日が昇ると仕事を始め、家畜の動きに舎わせて人が行動し朝、搾乳を終えると遊牧に出し、馬に乗って群れを追いながら、日没まで帰れる範囲を行動半径とする。草原の草は、日本のように管理された牧草地と比ぺればまばらにしか生えていないが、海原のように広がる草原の広さを考えれば家畜の数に余りあるばかりである。住まいは分解移動可能な木のフレームとフェルトから出来たゲルと呼ばれるドーム型のテント式住居である。ゲルは決して粗末なものではなく、分厚いフェルトが夏の暑さを遮断するし、-40℃以下の冬の寒さの中でもマキストープ一台で暖かく保てる世界一シンプルかつ合理的構造の彼等のライフスタイルを象徴する住宅だ。 食生活は夏は乳製品、冬は肉が主体であり、小麦粉を練って、ウドンやパン、ボーズという肉囲子の皮を作る。小麦粉は購入するが、その他は自給自足である。肉はやはり羊の肉が一番多いが、五畜と呼ばれる羊、山羊、馬、牛、ラクダすべての肉を食べ、内臓、血液、頭にいたるまで、残さず食材とする。以前、酒井君といっしよに体験したこともある、モンゴル式屠殺方法は、筋骨の下の胸の中心部に手が入るだけの幅の切リロを開け、そこから手を腹部に入れ、横隔膜にそって背骨まで達すると、背骨の内側を走る太い血管がどくどく脈打つのを感じられる。
 その血管を指で引っかけてブチッと切断すると瞬時に羊の頭ががくんと項垂れ、悲鳴もなく、意識を無くし、流れ出る血液は腹腔に溜まる。次に皮を剥ぐが、手首、足首にぐるりと切リロを入れる以外は刀を使わずに、拳で皮と肉の間を押すようにして上手にむいてゆく。そして剥いだ皮の内面をあたかもお皿のようにして、その上に羊を置き、内臓を取り出し、次に腹腔に溜まった血液をお腕で汲み出し、腸をしごいて内容物を出してから血をつめて、ポイルしてソーセージにする。それから骨付きの肉を大きく分割して、そのまま調理に用いられる。調理方法はほとんど単純な塩煮料理で、塩以外の調味料や野菜はほとんど使わない。野菜を食べると健康に良くないとさえ思っているらしい。我々の常識では考えられないが、日本では昔から食事の原則は身土不二(しんとふじ)といい、此の土で生まれ、此の土を食して此の土に育み、此の土で生活すると言われ、その土地で取れないものを食することは、健康に良いとはいえないとされてきた。分かりやすく言えば、北国で南国のジューシーなフル一ツを食べたり、南国で脂の乗ったお肉を食べることは生理に反することになる。イヌイットはモンゴル人同様野菜を摂らないが、生肉を食べることで、ビタミンを補強している。モンゴル人は夏の間は,乳製品中心の食生活をし、冬は肉を内臓も血も残さず食べることで自然と体のバランスを保っているようである。一方、季飾に関係なく野菜や果物を食べ、世界中からありとあらゆる食品を輪入して、古来から尊んできた米食や稲作文化をもなくしてしまった我々日本人はビタミン剤や健康食品で必死で健康を買おうとしているが、いかがなものだろうか。ちなみに漢方の世昇では医食同源といい、責ぺること=健康推持という考えを基本に「食物は空腹を満たすとき食といい、病を治すとき薬という」と教えている。食物にはすぺて薬効があり、羊は体温を暖める効果があるといわれている。羊は季飾繁殖動物であるため、早秋に生まれた仔羊が秋から冬にかけて食べ頃に成長するのはまったく自然の摂理にかなっているといえそうだ。モンゴルでは一日二回の食事で、毎日同じ料理の繰り返しであり、さすがの酒井君も最初は醤油が欲しい、ビールが飲みたいよと夢にまで見たそうだが、慣れてくると、それは十分であり、体も順応してきたという。地域によっても異なるが、遊牧民は1年に2-3回毎年だいたい決まった場所に移動をするそうだが、気候や地形を考えて、家畜や人間の生活を自然の変化にあわせる形で成り立つ移動生活であるのだろう。その移動を容易にするために半日もかからずに分解、組み立てが可能で、馬車一台に積み込み移動が可能なゲルという住居が彼等の生活文化として完成した。

◆◆◆遊牧民から学ぶこと◆◆◆

 私は一晩、酒井君の語る話を聞いて、今まで何となく想像していた遊牧民の生活を間接的ではあるが、肌で感じることができ、そのことは羊飼いを目指した当初の理想と現在のギャップを鮮明にして、今の日本人が気付いているか、いないか分からないが、日本を含めた先進国といわれる社会が抱える問親に対しての答えの糸口を教えてくれているように思えた。酒井君はモンゴルの遊牧生活で、自然の中での生活の激しさよりも、ゆったりとした時間の流れの中で余裕を感じたという。そして知り得たのは、「足りたるを知り、無駄を欲せず」という真理だったという。遊牧民の生活の流れは、自然のそれに沿って動いているが、我々の生活は自然の流れを変えてまでも創り出したタイムスケジュールによって、めまぐるしく動かされている。遊牧民は今の生活に溝足できる自己を持っているが、我々は今の生活に満たされることなく、満足のゴールを知らないまま、次々と欲求を満たそうとし続けている。しかし、いくら求めても自己の満足を得られないばかりでなく、他を犠牲にし続けており、それが自然破壊や社会問題となって、自己に環ってきていることにも気づかないで、被った被害のみを排除することに躍起になっている。遊牧民が何も望んでいない訳ではないし、彼等の社会生活にも馬にかわるバイクや、ラクダにかわるトラックも入ってきているが、馬で十分なことを無理に変えることが何のプラスをもたらし、何のマイナスを被るかを頭ではなく、肌で感じているのではないだろうか?バイクは馬より早いが、馬なら大地に生える年を食べさせていれば働いてくれるし、子供を生めばまた新しいカとなり、死んでも大地に環り、草を育てる。バイクはガソリンを買わなければならないし、壊れれば終わりで、しかも有限な工ネルギーの消費であり、大地に環りづらい物質である。しかもそれを得るためには稼がねばならず、その為に家畜の頭数を増やし、多くの物質を持てば移動が大変になり、遊牧生活そのものの根本を絶つことになる。遊牧民はほとんどゴミを出さないという。これは別段環境意識は高いからではなく、ゴミが出ないからだ。ラジオの乾電池を平気でその辺へ捨てているらしいが、彼等の生活が生むわずかなゴミは寛大な大自然が許容する随囲のものであり、自給できないものを極力もたないで、あるものを最大限活用している生活においてゴミは出ない。山羊、羊の糞はゲルの床下の冬の断熱材や燃料になり、牛糞は家畜の防風柵の隙間を埋め、人糞も便所を持たないので、ゲルの周りの大地に還元されてゆく。それに比ぺて我々先進囲といわれる人々の生活からは、大量のゴミが排出され、物がゴミとなり廃棄されることで、新たな生産を生み、軽済が流れる。更にこの消費経済を大自然と共に生活する遊牧民や途上困の生活者へと広め、自分達の経済のシステムを維持しようとしている。もちろん、今私達がみんな突然、遊牧民の暮らしに変わることはできない。しかし、我々が間違いに気付いているならば、その間違いを彼奪に押し付けたり、我々の暮らしに近づくことが、幸せになることだと、騙すような真似だけ名は慎み、彼等の生活を尊ぷ心を持ち、我々こそが彼等に近づく努力をすることが正しい選択ではないだろうか。茶路めん羊牧場では真似事かもしれないが、遊牧農の生活を遊び感覚で取り入れていく、仲間づくり、名付けて
「ゲルプロジエクト」を始めてみたいと思案中です。

(武藤 浩史)

 


日本発 巨大フェルト作り
ワークショップてん末記

 ◆はじめまして。今年の九月より茶路めん羊牧場で実習をしています「羊飼い見習い」酒井伸吾と言います。
今回、紙面の一部をお借りして先日茶路めん羊牧場で行われましたワークショップの報告をしたいと思います。大学時代に羊と出会い「いつか羊飼いに」と思い続けて、卒業後、羊牧場に就職。二年後会社を辞め、モンゴルへ。そこで遊牧民と1年半生活を共にして、帰国。羊飼いを目指すため茶路めん羊牧場にお世話になることになりました。その時、武藤氏の出資でモンゴルゲル(骨格のみ)を買い付け、「ゲルを中心にイペントをしよう!」と盛り上がったのをきっかけに今回のイべントが始まりました。モンゴルに行った経緯、ゲル購入の裏話、ゲルについて、遊牧民の事……等々話したいことはたくさんありますが、今囲は紙面の都合で省略します。
 「俺たちは羊飼いだ!フェルトは白分達の羊の毛で作る!!」というスタッフの意気込みで始まった今囲のイベントは10月10日〜11日に行われました。参加者は10人。まずはゲルを組み立てました。ゲルはまんじゅう型をしており、周囲18メートル、高さは12.5メートル(管理者註:実際は3m弱位)の移動式住居です。この大きさを覆うフェルトを作ります。この日は壁の部分のフェルトを作りました。ブルーシートを広げ、1.8x6mの大きさのプチプチシートを用意します。プチプチ部分を上にしてその上にカード済みの毛、原毛(2〜3層ぐらい)、カード済みの毛の順に重ねます。モンゴルでは使いませんが、その上から石鹸水を水分が染み出るぐらいかけます。ちなみに今回使用した石鹸は羊の脂肪で作った「ひつじ石鹸」です。ある程度かけたらフェルトを足でならします。これには網戸を使用しました。フェルトの上に網戸を置き、網の部分をすぺるようにしてならします。今回は記念にということでカラードの毛を使い、文字や絵を描いてもらいました。次に芯棒に端から巻き付けます。大ささもあり水分も含んでいるので結構重く、巻き付けるのも一苦労でした。さらに布を巻き付け、丈夫なヒモで縛り完成です。
 そして、秘密兵器の登場1tトラックを改造して作ったフェルト製造マシーンです。(ゲルフェルト作り終了後に出番があるかどうか定かではない。)参加者の半分が荷台に乗り出発。車通りの少ない行動で速度10km以下で距離12km、約2時間弱コロコロ転がしました。最初は水分が多いのでだ円状で、ポテッ、ポテッと転がっていましたが、しばらくすると程よく水分が出て形も締まって円形でコロコロ転がるようになってきました。初日はここで作業は終了し、夜はモンゴル料理のシュウパウロを食べながら話に花が咲きました。
 二日目は、昨日引いたフェルトを広げることから始めました。「おー!」という歓声の中、広げていくと歓声は次第に「いやー!」という悲鳴に。記念、にと描いた桧や文字は無残にもマープル模様のように歪んでいました。参加者の皆さんごめんなさい。今ではこの問題も解決の方向に向かっています。さて今度は昨日とは逆の方から芯棒にフェルトを巻き付け、昨日と同じ距離数を転がしました。これでほぽ巨大なフェルトは完成となります。その後、ゲルを解体してワークショップは終了いたしました。
 今後ゲルを完成させ、『完成披露パーティー』を行い、その後もゲルを中心としたイペントを行って行く予定でいます。ゲルの可能性を探りつつ、スタッフの試行錯誤は続いてゆく………。

(酒井伸吾)

く編集部より>
酒井さんには今後、モンゴルの生活、文化等の記事を通載してもらう予定です。お楽しみに。

 

●ラムレター10号特別企画その1●

〜〜〜〜〜羊男と私〜〜〜〜〜

原毛屋スピンハウスポンタ 本出ますみ

 私、こと原毛屋のポンタ。そもそも武藤君とのなれ染めは彼からの熱烈なラブレターにはじまります。「羊に狂ったヤローは、日本中で私一人と思っていたら京都にもう一人いるではないか!本出ますみ(=ポンタ)発行のスピナッツを(=手紡ぎに夢中になったスビナーのための情報交換雑誌)見て、急ぎ手紙をしたためた次第です。」というのが事のはじまり、十数年前。
 その後聞けば同郷、京都出身、犬年の同い年。同類を嗅ぎつける嗅覚がお互いを然るぺくして出会わせ、羊をはさんで片や「羊毛」、片や「肉」と羊をめぐる同業者として、ライバルの様な、幼馴染みの様な、もしかしたら兄弟かもしれないと感じる程、ほとんど身内感覚。いずれも羊をもりたてたいという共通の目的意識から、互いの講習会を企画しあう間柄なのであります。

 さて!この武藤君の魅力とは…
@丸眼鏡をかければ、ほとんど天才アラーキー。

Aいつも変わらぬトレパン姿、しかし本人に言わせると、お出かけ用、普段着用、野良仕事用…と使い分けている‥らしい。

Bご存じ、突然爆笑する彼、ブッハハハハ!

C愛嬌ある三枚目半。正面から見たら、まじめな男。後ろ姿は、哀愁漂う夕日の羊飼い。

Dなんといっても武藤節のこぶしがうなるユーモアあふれる文章は、このまま文筆業にさせたいほど。

 −そう、書けて(文)・飼って(羊を)・駈けまくる(ワークショップに営業に…)。−
三拍子そろった羊飼いとは武藤君のこと。武藤の前に武藤なく、武藤の後に武藤なし。21世紀の羊界のオピニオンリーダーは、まさに武藤君をおいて他にいない…。
 最後になりましたが、実は武藤君を支えるのは、このラム・レターを発行する姉二人、邦代さんと、小西敏代さんとそのつれあい小西徹さん。広報と営業を担当。三年前には彼の両親も京都から北海道に移住。家族一丸となって羊と共に歩む武藤ファミリー。
「やっぱ!羊は国産のフレッシュラムに限る!」

●編集部からひとこと
関西での営業は主に「羊のすぎむら」の杉村オーナーが支えてくださっています。

◎スビンハウスポンタ 京都市北区等持院南町46
TEL075-462-5966/FAX075-461-2450

 

●ラムレター10号特別企画その2●

〜〜〜〜〜10号おめでとう〜〜〜〜〜

トラットリア・ラ・ペコラ  オーナーシェフ 河内 忠一

 ●私は現在トラットリア・ラ・ペコラ(イタリア語で一匹の羊)のオーナーシェフです。羊とかかわり出して……計算するのが大変。コックを始めてもう25年。旭川市の羊関係の会社に3年「ザ・セラー」「滝川市内のレストラン)にて4年、そして、ラ・ペコラを始めて9年、計16年程になる。武藤さんがめん羊牧場を始めて13年とのこと。お互い長い年月ですね。羊とかかわっている事でどこまで発展するかと思いきや、ネットワークだけが強い絆となっている。独立して9年目、自分のお城が持てた(すぺて借金)。そして看板に、道産羊料理専門店と入れた。やはり、地場産にこだわり続けたいが為。こんなおいしい肉を少しでも多くの人に知ってもらいたいが為。自分の店の横にはラベンダーを植え、多くの人に見てもらいたいと思い、自分の畑で育てたハーブや、野菜をお店に出す。皆、喜んでくれています。
 これからも羊料理にこだわり続け、ネットワークの人々と楽しく羊のお話をしていきたいと思っています。又、茶路めん羊牧場が羊生産基地であり続け、観光名所となる事を願っています。

◎トラットリア・ラ・ペコラ 北海道滝川市本町2丁目
TEL0125-24-7856

 

羊子さんのクッキングメモ◆中華ちまき◆

気持ちのいい日、お弁当でも持ってどこかへ出かけたい気分。
そんな時にいつものおにぎりの代わりに、こんな中華ちまきはいかが。

材料6ヶ分
もち米2カップ・ラム肉(かたまリ)100g・筍50g・干椎茸2枚・玉葱100g・干海老20g
干海老のもどし汁にスープを合わせて1カップ・醤油大さじ2・塩小さじ1・砂糖小さじ1・竹の皮・たこ糸

(作り方)
1.もち米は一晩水につけザルに上げて水気を切っておく
2.ラム肉は1cm角に切る
3.筍、干椎茸、玉葱も1cm角に切る
4.干海老はさっと水洗いしてぬるま湯につける(つけ汁は残す)
5.中華鍋を熱して油を入れ2・3・4を炒め、干海老のもどし汁にス
ープを合わせたものと他の調味料を入れ1も加えて汁気のなくなるまでよく炒める
6.竹の皮に5を包んで形を整え,たこ糸でしばる
7.強火の蒸し器で30-40分蒸す

 

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羊仕切り

最終更新日: 2000/01/12.
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