ルポルタージュ
2000・6・17 in 釧路 
   
by 下川麻衣

 

今回の外出の監視行動では昨年、一昨年とはまた違った雰囲気の中で行われた。 私の予想以上に早く演習が終了し、外出が予定していたより一週間早められた。私は今回も、監視活動に初挑戦の女性2人とともに、釧路での海兵隊員との接触を試みた。

6時に集合場所の栄町公園へ向かう途中、昨年も隊員たちで賑わっていたハリウッド・カフェから大声で話す海兵隊員の声に驚いた。 友人と私は何事かと振り返ると、隊員5,6人が通行中の車中の女性たちに猥褻な言葉を浴びせて誘っているところだった。その車が去つても次から次へとターゲットを見つけては同じ事を操り返していた。米国にいる一般的な隊員の姿そのものだ。私たち反対派がみていてもそれを楽しんでいるふうにも思えた。

既に酔っている隊員がかなりいることを聞き、私たちはターゲットを酔っていなさそうな若者にかぎった。 まず、18才か19才の白人、AとBに声を掛けた。彼らは快くパンフを受け取り、自分たちから色々話してくれた。 一人は少しシャイな感じだったが、もう片方はとても話好きで、「もう行くぞ」と言われても、やめなかった。自分は音楽が大好きで入隊前はロックバンドでベースギターを弾いていたこと、「釧路にはたくさん教会はあるの?」と何度も聞くほど敬虔なクリスチャンだということ、私がサンデイエゴ出身と聞いてそこで訓練をした時期にその土地がとても気に入ったこと、などなど。彼らは頻りに今晩の酔った隊員たちの態度に立腹していると言った。「首根っこ捕まえてここから放り出したい」と。「自分たちはただ歩き回って楽しんでいるのに、彼らはそれをぶち壊している」と息巻いていた。

次の隊員に話し掛けるまでの間に泥酔した隊員とすれ違った。彼はもう一人の隊員に抱きかかえられながら青白い顔でほとんど引きずられて歩いていた。私たちはそれを見て、今夜は荒れるかもしれない、と警戒した。

我々は次に20才のCとDに話し掛けた。パンフを渡そうとすると、彼らは「もう貰ったよ、けど返す」とつき返してきた。これは負けていられない、と私は対抗姿勢をとった。 そこに他の隊員たちも数名加勢してきた。「相手にするな」という彼らに2人は「いや、今話さなくてはいけないことだ」とその場に残った。 彼らは手にしていたサワークリーム味のチップスと「その独特の匂い消し用の」ガムを提供してくれ、和やかに数分路上でやり合っていたが、Cの提案で、アジアン・カフェで話し合うことになった。

会話のほとんどは私とCとの間で交わされた。 「何故反対するのか、君達のためにしているのに」とくり返しぼやく。米国に帰るまでCは11か月、Dは4か月だという。2人ともそれそれが待ち遠しいという。Cはイリノイ出身で、Dは南カロライナ出身、米国で彼らが配置される基地は2か所あり、Cはカリフォルニアを、Dは北カロライナを希望するという。ここまででは彼らは割と隊員であることに誇りを感じているのかと感じていた。

しかし、彼らは4年の任期を終えたら、絶対に他の仕事に就くと言い切った。約3年後の任期満了時、彼らは学校には行かず、職を求めるという。 海兵隊の任期を終えるといい仕事につけるからだ、と強く言うCだが、現実は甘くない。私の友人の元海兵隊員は不本意ながらも皆高校生のバイトと同等の仕事にしか就けていない。そのことにDは気付いていたようだが。「入隊したことを心から悔やんでいる。一生後悔する決断だ。自分がこんな失敗を犯すなんて。」Dの言葉が私の胸に突き刺さった。こんな隊員はあと何人いるのだろう。これ以上こうした決断をする若者を一人でも減らしたい。心底そう思った。

2人は沖縄の気候は好きだが、反対運動が活発なため沖縄人は苦手だという。彼らが沖縄に来る以前の米軍兵士が犯した事件のせいで自分たちは悪いと先入観でみられており、残念だ、でも過去に対して何もできないから自分たちを責めてほしくない、と困惑の表情を浮かべていた。沖縄人から受けている軽蔑の眼差しは仕方が無いものだが、嫌だ、と何度も言っていた。

沖縄の少女暴行事件後、犯罪を犯した隊員は以前よりも厳しい処分を受け、基地内の刑務所に投獄されるようになったという。 実際に今晩釧路の路上で酔っ払った隊員が沖縄に送還された後投獄される決定がなされたという。2人は「ただひどく酔っていただけなのに」と言ったが、私にはそれ以上の何かがあったのでは、と想像した。

私たちが酒を酌み交わし、会話が盛り上がっているとき、突然一人の日本人男性が彼らを呼び出した。私は直感で防衛施設庁職員だとわかったが、無理矢理連れ出される彼らにそれを巧く伝えることができなかった。その直後に私の友人が2人同時に私たちがしばらくの間見張られていたことに気付いた。わたしたちの席から隠れるようにしてどう見ても場違いな目つきの悪い中年の男が見張っていた。彼らが防衛施設庁職員だということは後にふとした会話から判明した。

「上司がよんでいるぞ」と呼び出した男は説得に失敗、DとCは私を呼びに戻ってきた。男は携帯で状況を説明しているところだった。私は2人に頼まれ、事情を男から聞き出し、通訳をした。「彼らと話をしてほしくない。彼らのこれからにひびくから」と訳のわからない話をする男にこちらも徹底抗戦をした。
下川「これからの何にひびくのか」
男「またこうやって(釧路に)来ることがあったら、今のように女と話したり写頁とったりするのは周囲が見ていて嫌がるからだ」
下川「周辺から苦情が来たのか?店から苦情が出たのか?我々は騒いでもいないし、酔ってさえいない。ただ話していただけだ。私たち女もイヤイヤここに居るわけではない。一体なんなのか」
男「だから、とにかくここを出ていって欲しいんだ、彼らに」
CとDは通訳するよう言っにので要点だけ訳すと、怒りを顕にして、他の歩行中の隊員を呼びつけた。事情を話すと、彼らは場所を移して様子を見るように提案した。

私たちはそれから混乱を防ぐためマリノスへ行った。そこで個人的な話も含めて更に様々な話題で盛り上がった。2人と出会って2時間半ほど語り合った私たちは彼らを見送りに集合場所のパシフィックホテルに着いた。そこで我々は前述の男に再会した。私は最後になるまで確信をもてなかったが、2人は真っ暗な車の中にいる男を見逃さなかった。 さすが、海兵隊員だと感心というか、びっくりした。下士官が近づいてきたので2人がその男について報告をした。彼は冷静に話をきき、私たち女性陣に「それは大変申し訳ない。充分注意しておくので許して欲しい。 楽しんでいる所に油をさされたようだね」と優しく声をかけた。 私は彼の表情からも前年同様、防衛施設庁職員の見張りがかなり彼らを疲れさせたことが伺えた。海兵隊員たちは言う。「君達は俺達に対して抗議行動を行っているのに、来るなと言っているのに、こうしてフレンドリーに話してくれる。防衛施設庁は俺達の味方のはずなのに、こうして嫌がらせをする。俺達には全く理解できる範囲を越えているんだ」言葉を交わすことにより、隊員たちにしっかり私たちの運動について知ってもらえたかどうかはわからない。しかし、少なくとも我々が真剣だということと海兵隊員たちを思いやる気持ちがあることは伝わったと自負している。

私たちが関わった隊員たちが言ったように(防衛施設庁は否定しているようだが)今回の外出後にも釧路に隊員が来ているという目撃証言もある。 私はこのような海兵隊員の行動を極秘にする防衛施設庁の対応に憤りを感じている。海兵隊かえれ、の運動を一層強めていくと同時に日本側の対応の在り方にも今まで以上に鋭い目を向けていこうと思う。

Cからメールが届いた。9月には東京周辺で演習を行い、2か月滞在するそうだ。彼らとの親交はこれからも深めていきながら、平和活動をする上で参考にしていきたい。

2000/6/17

下 川 麻 衣