text by Seino
 
 皆さん、少し早いですがあけましておめでとうございます。「仕事片手間DJ先生」と2ちゃんに書かれた(笑)別海高校赴任13年目を迎える清野です。

 しかし、片手間とはいえ(笑)赴任13年も長いですが、ハリウッドの10年っていうのも長いなぁーとしみじみ思います。こんだけ定期的に続けてるパーティでスタッフも変わらずに10周年ってあまりナイですよね…。変わったといえば、ハリウッドを始めた頃はミッシェルとザ・フーをこよなく愛するモッズ気取りの高校生だった山本圭一がスタッフに加わったことぐらいか。その圭一もいまや若番頭どころか、パーティもホムペも、企画のほとんど全てをヒーヒーいいながらまわしてる始末。さしずめ若社長ですな。在学中は「高校生はハリウッド行っちゃダメなんですか!!」「DJやりたいんですけど!!」とウルサかったのですが、今じゃそんなことシャレでもいえないだろうな。成立当初と今じゃ業務の激しさも雲泥の差。本当にいつもお疲れ様!!とか普段は絶対言わないけど(笑)

 思い起こすと本当長いんで、詳しく正確な年表は「ABOUT US」を参照ということで(いきなりメンドクサクなった)、やっぱり最初からずーっと、今も昔も結局はオーガナイザーである奥山さんの実行力の賜物なんですよ。東京にいた頃はクラブといっても、ほとんどインディー・ロックのイベントしか行ったことのない自分を誘って「別海にクラブを!」とハリウッド(当時はクール&ザ・ギャングの名曲から「HOLLYWOOD SWINGING」と名称)を立ち上げたときも、実行力ゼロの自分は「あーいつか、そんなふうになればいいねえ」なんて完全に他人事だったのですが、もうその一ヵ月後には今も変わらぬハコである「PEACE」をおさえ、PAを借りて、すでにDJとして活躍していた半田君、中洞君を呼び、チケットを売って、Tシャツ作って(笑)、気がついたら「先生もDJやることになったから!」と(ターンテーブルもCDJも持ってなかったのに!)あれよあれよという間に、スタッフ兼DJとなってしまい、そして気がつけばもう10年…。

 今DJをしたいと思ってる少年少女たちにしてみれば、「自分で何もしないで、そんな立場にいるなんてうらやましい奴だ!」と思うだろうけど、もう、自分で何もしてないだけに…。それだけにツラかったす。なんでこんな立場にいるんだろう…とにかく早く抜けたい!お客さんになって踊りたい!ってどんだけ思ったか…。DJとして人前に出たり、スタッフとしてあれこれやってれば、当然それが不出来ならば批判もされるし、されたらされたで「別にそんな立場にいたくもないのに!」とか、後ろ向きにばかり考えてましたね。実際2回目3回目はDJを辞退したような記憶が…(ジジイなんで記憶違ったらゴメン)。

 そんで、3回目(?)のハリウッドで、初めてイギリス帰り(現在パキスタン行き)の中澤君に会ったのかな?今も変わらぬ爽やかな童顔で短パンでスケボーに乗って登場(という記憶があるけど本人は否定)、DJでは「ミラクルズ」や「ジョビジョバ」をフリーソウルよろしくバンバンかけ、最後はブース降りるときに当時の彼女とハグするご機嫌っぷりに(これは本人否定せず)「あぁコイツとは人種が違う!」と確信しましたが、まさか後にこれだけ仲良くなるとはなぁ…。

 「ABOUT US」にもある通り、ハリウッドは一回、イベント性を捨てて、まずはレギュラーのパーティーとして日常的に踊れる場として根づかせようとした時期がありました(「HAPPY HAPPY HOLLYWOOD」の頃です)。DJも同じメンツ3人でレギュラーを続けていって、足場を固めようと思うんだ、という奥山さんの意見に「あー、いいんじゃない」とまたしても他人事だったのですが、まさか自分もその3人のうちに入ってるとは本気で思ってなかった……。この頃からですね。こりゃーもう責任持ってハリウッドのスタッフとしてやるしかないわって腹をくくって、家に機材も揃えて(おせーよ!!)、今まで拒否していたチケット売りもするようになったのは(そして毎年、卒業生を呼ぶようになったのは…。)こうして3人(いや「キャッシャー番長」の北斗君を含む4人だな)で、あちこちに出前DJしていたこの頃も今となっては懐かしいなぁ…。友達も増えたし。

 こうして、だいぶお客さんの動員も安定してきて、気がつけば5周年になって。スペシャル・ゲストを呼んだらどうかって話のときも、またしても他人事で(またかよ!)、「あー呼べたらいいねぇ」って感じだったんですが…1回目から須永辰緒さんと池田正典さんですよ !!今なら「今年は別海に誰がスペシャル・ゲストで来るの?」って普通にお客さんにも聞かれますが…当時はどうやって話をつけたんだ!って感じでしたよ。しかも、いつか呼べたらなぁって最終目標ぐらいに思ってた人達が1回目って…ありえないす。でも、あれが成功して、本当に今があるって感じで。身内ボメはしたくないんですけど、あの時に見せた奥山さんの綿密な計画性と、実行力には本当に脱帽しましたね。さすが商売人というか、自分はひょっとしてとんでもない人と友達なんじゃないだろうかってつくづく思った瞬間でした。

 その後のことはさすがに記憶に新しいし、この辺からホームページも始まってるんで、詳しくは参照してほしいんですけど、まぁ自分たちで言うのもなんですが、本当スゴいよね今までのゲスト見ると…。これも奥山さんのバランス感覚ですけど、普通もっとゲストDJの方向って偏ると思うんですよ、良くも悪くも。でもゲストを呼ぶ順番とか、パーティの色が偏向しないようにとか、どのジャンルでも「トップのDJを呼んで、その音楽の楽しさを知ってほしい」って意思は本当にずっと一貫していて。本人の性格なのかもしれないけど、自分が楽しむというよりはすごくお客さんに対するエデュケーションということを第一に考える人だから。今はこれが当たり前になってるかもしれないけど、もう、こうした身内ボメは2度と書かないので、友人として言わせてもらえば、本当にここと同じぐらいの田舎(って言ってしまうけど)で、これだけのサイクルと質でパーティー成立させてるところはないって思うんですよ。それは凄く大きい意味を持っていると思います。本当にリスペクトです!!

 冒頭に戻りますが、今年はついにハリウッド10周年になりました。今も現役バリバリで遊びに来てくれるお客さんはもちろん、最近はご無沙汰で…という昔のお客さんも、本当、みんな是非遊びに来てください。ひょっとしたら「昔のハリウッドのほうが良かった」という古参のお客さんもいるかもしれませんが、いや…実は今、せっかくだからと第1回目(!)からのハリウッドのビデオを順を追って流しながら、このコラム書いてるんですけど…まぁ、あの頃はパーティー自体にモノ珍しさがあったから、お客さん自体は盛り上がってくれてはいるんですけど…こりゃーナイわ(笑)間違いなくパーティーのクオリティは、今のほうがよっぽど上です。それに、ここ数年すっかりオオカミ少年と化してますが(笑)本当にもういつ転勤するかわかんないんで今まで遊びに来てくれた、一緒に踊った人達と全員会いたい!!っていうのが正直な気持ちです。

 最後に、ここまで続けられたのは、やっぱりお客さんのおかげに尽きます。今来てくれてるお客さんも、5年前に一度だけ来てくれたお客さんであっても、その時に来てくれたからこそ今のハリウッドがあります。本当に感謝です。それと新築移転後も、布団を張って防音したり、ベニヤを貼ってフロアを作ってくれながらも、ずっとホームグラウンドとして場を提供してくれ続けた「 PEACE」のマスター、前田さんにも本当に心から感謝です。ありがとうございました…なんかこれで最後みたいですね(笑)

 というわけで、今年のハリウッドは今まで以上に楽しめる場としていきたいと思っていますんでよろしくお願いします!!…って本当になんもまだ決まってないんですけどね。とりあえず 10周年記念Tシャツは欲しいな(笑)まずは31日の中標津「SAFEWAY」でのカウントダウン、そして恒例の1月2日のホ−ムグラウンド「PEACE」でのニューイヤーパーティに是非みなさん足を運んでください!!

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