2002年9月

9月29日<参照9月20日>

観察記を記する時間さえないくらい彼女にクギヅケ(笑)。


9月22日<色気>

感激もつかのま、21、22日とひたすらシゴトゴトゴト。
祭で「いらっしゃいまーせー」とか言いながら丸一日。

客の老男性から、いきなり投げキッス&ウィンク。びっくり。
老いてなお盛んな姿勢は拍手したいけれど、疲労+ほんの少しのストレスは桃色に遥か遠い残酷色。


9月20日<ようこそここへ>

ひとつの生命が誕生した日。

陣痛室で、ただただひたすら痛みに耐える体をさすりながら、
助産婦さんが「親だねぇ、偉いねぇ。」というのを聞いて心臓が熱くなる。
あぁ、親がいる、と思った。
妹がいると思っていた空間に、いつのまにか親がいる。

9月20日午後11:11生誕。おめでとう。

いつか色々話してあげたいと思う。
予定日より大分過ぎてると思ったら、他県にいるお父さんが来た日来た時間に
まるで待ってたんじゃないかって感じで生まれたこと。
うまれた時の泣き声が、どーしても「いえ〜い」って聞こえたこと。
うまれた時からやたら元気だったこと。

ようこそいらっしゃい。これからよろしく。


追伸…これからしばらく、この子観察記になったりしてな(笑)。>叔母バカ


9月16日<ひがえりたび>

夜行バスで往復の、車中泊の旅に出る。

行きの夜行バスで真夜中に乗客が乗務員ともめる。
「ほかのお客さんの迷惑でしょう。」
『迷惑になんかなってねぇよ!』
なってるよ。

時間が空いたので映画を見る。最近の幸せ。映画館で映画を見ながらビールを1本飲む幸せ。


9月12日<そぼくなぎもん>

何度汚しても着替えても平気〜みたいな洗剤のCM。
何で何度も着替えてるかが不思議でござる。
コドモが汚してあ〜あ、ってさ、汚してもいい服でもっと気楽に生きようよ!とか思う。だめ?


9月10日<たとえば、こんな>

何故今この歌が・・・という歌がぐるぐるアタマをかけめぐることはないか、そこの方。
さっきから何故かドラえもんの歌が回ってるのです。♪アっタマてっかてーかで始まるアレ。

ところであの歌、「それがどうした、ぼくドラえもん」と続くのだが、
「それがどうした」・・・って逆ギレ?何に逆ギレ?混沌とした世界に?出来杉くんの名前が思い出せない自分に?

未来という領域はやはり未知でミステリアス。


9月06日<今日の日記は恥かしいぞ>

夢を見た。
劇場のような空間で、某方が出てきたけれど自分は近寄れずじまいだったというよな夢。

でも何故か眼が覚めて思ったのは、
ああ、夢でも会えて嬉しかったなぁ
ということでした。


さあ、皆のもの、この甘酸っぱい奴をにやにやしながら見るがいい!(自爆)


9月04日<歌の想い出>

平井堅の新曲が「大きな古時計」。ニューシングルなのに大きなのっぽの古時計。
実はこの歌には、個人的に想い出がある私。


それはまだコドモの頃に出席した親戚の結婚披露宴。
そこで唐突に、ラブストーリーくらい突然に、なぜか歌を歌うことになってしまった私。
急な指名に動揺するあまり、世に数多ある古今東西の歌謡曲がまったくといっていいほど浮かんでこない。
唯一うかんだ<結婚式>な曲といえばシュガーの「ウェディングベル」
…歌えねぇ、無邪気さしひいてもこれは歌っちゃいけねぇ、とコドモ心にも感じる。

そうして悩んで悩んで、出た言葉が
「大きな古時計を歌います。」
司会も少々ひきつった声で『ではお願いします〜。』
歌開始。


「♪大ーきなのっぽの古時計ーおじいさんの時計ー」

・・・・・。

続く歌詞が出てこない。沈黙。祝いの席とは思えぬほど息づまる場内。
アタマ真っ白な中、再度歌い直してみる私。

「♪大ーきなのっぽの古時計ー・・・・・」

・・・・・・・。
やはり歌詞が出てこない。ふたたび沈黙。


「・・・♪大ーきなのっぽの」
おまえんちは何個古時計があるんだ。時計専門店か。


『・・・は、は〜い、ありがとうございました〜。』 たまらず司会が止めに入って歌終了。
その後のことは、あまり覚えていない。


という瞬間が二十年以上たった今でも鮮明に強烈に脳裏に焼き付いている。
そして今平井がどんなに情感を込めて歌っていても、それ以上の情感が私を支配してほろ苦い。



それにしても、
たとえ歌いきれてたとして、結婚式に持ち出す歌じゃないよなぁ、あれ(笑)。


9月01日<頭ずきずき>

久々に体調を崩す。
人間、頭が心底痛い時は某頭痛薬のCMのような「頭痛ぁい〜」という声が出る。ウソみたいだがホントに出る。
これでアナタも風吹ヂュン。


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