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二十世紀梨〜松戸覚之助少年の気概

TOSSオホーツク・大木敏道
作成日:2001年11月23日(金)
更新日:2002年11月10日(日)

ゴミ捨て場の中から家業の役に立つものを発見した 弱冠13歳の少年の気概を伝える授業

十手

と板書する。これをノートに写し、ふりがなをつけて持ってくるように指示を出す。正解者が出たら板書させる。

「じゅって」ではなく、「じって」が正解である。

これの応用問題ですと言って、次の言葉を板書する。

二十世紀

これもノートに写させ、ふりがなをふらせる。そして、ノートを持ってこさせる。正解者に板書させる。

「にじっせいき」が正解である。

指示  二十世紀と聞いて思い出すものを発表しなさい。

「戦争」、「世界大戦」、「なし」などが発表される。

「いろいろ出てきましたが、今日は二十世紀梨について学習します。」と言って、二十世紀梨の写真を提示する。

発問  二十世紀梨の生産が一番多い県は何県ですか。

「鳥取県」、「大分県」

「鳥取県が正解です。」と言って次の説明をする。

説明  鳥取県は、2万7000トンの二十世紀梨を生産しています。日本の50%です。東南アジアやアメリカなど14カ国に輸出されています。外国では、「Nijisseiki Nasi」で通用します。

発問  では、二十世紀梨が最初につくられた県は何県ですか。予想して発表しなさい。

「山梨県」、「千葉県」。「実は千葉県なのです」と言って次の説明をする。

説明  千葉県の松戸市(現在)に松戸覚之助という人がいました。彼は、親戚のごみ捨て場の中に梨の木を発見しました。これを自分の家に植えました。これが二十世紀梨だったのです。

発問  松戸覚之助は、この時何歳だったと思いますか。

「70歳」、「50歳」などが出てくる。そこで、「13歳の少年だったのです。」と正解を言う。

説明  松戸は江戸時代からなしの産地でした。2年前からなしの栽培をはじめた松戸家では、なし作りに一家未来を託していました。その意気込みが覚之助少年にも伝わっていたのです。覚之助少年は、この梨に改良を加え10年後の明治31年(1898)、現在のようなみずみずい青い果実になりました。

「その年、その梨に渡瀬寅次郎(札幌農学校のクラークの弟子)は、次のような思いを込めて二十世紀梨と名前を付けました。」と言って、次のように板書する。

  二十世紀に( )座を成す梨になること

発問 ( )には、漢字一字入ります。それは何という漢字ですか。

「王」

説明  現在は、王座は「幸水」、「豊水」に奪われていますが、「幸水」、「豊水」は、「二十世紀」の子孫ですから、松戸少年の大発見は輝きを失うことはありません。

付記  東京都の石原知事とホテル新税でけんかしている鳥取県の片山知事を調べている時に、鳥取県と千葉県が交流していることから松戸少年にたどりつきました。