茶路めん羊牧場便り

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ラムレター 第11号(01年1月・一部ばっすい)

茶路めん羊牧場 武藤 浩史
発行 小西 徹

※管理者にてウェブ用に目次ページ等を追加しています

 

目 次:

食を自分たちの手に取り戻そう!

ゲルワークショップに参加して(準備中)

Simple is Bestなんだよなぁ(準備中)

茶路めん羊牧場の羊紹介(準備中)

書籍インフォメーション(準備中)

 

食を自分たちの手に取り戻そう!

バブルのつけ

 雪印の食中毒事件以来、トカゲだ髪の毛だ針金だと、まあよくぞこれだけという程色んなものが混入した食品が現れ、メーカーの回収騒ぎが日常茶飯事となった。昔はチンピラの常套手段として、ゴキブリが入っていたといちゃもんをつけて、見舞金をふんだくるというのがあったが、最近は消費者がメーカーではなく保健所へ苦情を直接持ち込み、新聞沙汰となり、メーカーがあたふたするようになった。もちろん、混入物は事実なので、苦情を申し立てる消費者は正しい。また雪印のようにずさんな、管理をしているメーカーも次々暴露され、企業モラルが問われるのは当然である。しかし、単に食品製造者の責任だけではない、消費者や社会の責任や食に対する認識も問われているように思う。バブルがはじけて経済が低迷した中で、企業は生き残りを賭けて、無情なリストラをし、合併し、ぜい肉をそぎ落とした。しかし、自らの生き残りのために、安全基準や、作業手順まで削ぎ落とし、従業員のやる気までなくさせてしまい社会的責任を果たせぬ企業が生まれた。バブル崩壊を救うためビッグバンだとかで、金融や経済の再生を図るつもりが、JCOや雪印事件のような人の命を脅かす大爆発を起こした。しかし、企業がこのようになった要因の一つには経済低迷の中で、消費者が安かろうよかろうという消費感覚を持ち、本質を見抜けなくなったこともある。特に食品についてはバブル崩壊後価格が下がりこそすれ、上がることはほとんどなかった。安売り店がもてはやされ、大量仕入れ、大量消費が助長された。牛乳ははるか海を越えて、北海道から船で運ばれ、夏の気温の高い本州で加工される。そのために、酪農家は、より厳しい衛生基準を強いられるが、買い取り価格は下がる一方である。酪農家はコストダウンのために、牛の数と1頭当たりの産乳量の増加を目指し、施設投資をして規模拡大する。ついていけない農家は淘汰され、農村は荒廃してゆく。その一方で、環境保全や景観維持に果たす農家の役割に対して所得保障のために直接支払制度を導入するとの政策が始まるが、現実に矛盾することに思えてならない。


何のための、誰のための衛生基準であるのか?

食中毒騒ぎの最中、仕事で、ある大きな観光施設でのパーティーの羊料理を任される仕事をした。大きな厨房では決められた衛生基準があり、生野菜は消毒液に5分漬け、水洗いを15分しなければならない。レストランで食べる生サラダはこんな処理がされていたのかと思うと、恐ろしい気がした。しかし企業側としては絶対に食中毒を出してはいけないのである。大きな企業程出したら最後、雪印のようになってしまう。ある乳業メーカーの管理職はこの状況下では衛生基準をあげて万全を尽くさねばならないのですといっていた。雪印の事件以来食品業界の消毒基準、防腐剤の使用レベルが必要以上に上がっているのではないかと危惧する。異物混入探知機等の設備投資がかさみ、原材料納入において厳しい衛生基準が生産者に要求されても、商品の値上げができないとしたら、そのしわ寄せはいったい何処に持ってゆかれるのだろうか。

どうすれば食を自分達のものにできるのだろうか?

究極は自給自足である。しかし、農家といえども自給自足はかなりの思い入れと努力がなければ困難である。それじゃあ自給自足をある程度分業して、物々交換するという手がある。海の漁師と山の農家が手を結べばある程度可能かもしれない。うまくネットワーク作りすれば、必要なものはほとんど物々交換できるかもしれない。もう少し幅広く考えれば、農家が町で暮らす家庭の自給自足を請け負うという方法もあるかもしれない。農家が経済的に成り立つだけの代価を払えば、農家は土や家畜に無理の無い農業を営み生産物を提供できるかもしれない。さてしかし、これらのことが実現できるのは現実には一部の人に限られる。もう少し広い範囲で考えれば、ある地域で農家が作った生産物をその地域と周辺の町に出荷して十分ならそれでよし、余剰が出るなら、さらに範囲を同心円上に広げてみる。もちろんこれでも都市と地方のバランスと農業地帯の分布を考えれば、無理が生じる。しかし、ある地域で気象条件にあった作物を少品目大量生産するよりも他品種適正量生産すれば、かなり地域内消費率が上がるだろう。効率的生産でなくなる分コストは掛かるが、遠隔地へ輸送するコストや仲買や市場のマージンが軽減され、購入側が、鮮度や安全性の付加価値に対し少し高値になることを納得すれば可能かもしれない。北海道のように大生産地においてはさらなる余剰が出るが、これらを加工するために、地域内に生産基地を確保し、食品製造業を原料調達の現場に招き入れる、或いは地域内で起業化を図るように考えられないだろうか。これは何も社会主義の計画生産をしようといっているのではない。自由競争ではあるが、生産の努力が適正な範囲で評価され、生産者が適正な利益を得る。安かろうよかろうではない、安全と安定を第一に確保する中で、個々の農家が営まれるようになればと願うのである。ある程度の規制というか、我慢は必要である。たとえば北海道に住む人が北海道で採れないミカンを九州から買うことがいいが、北海道の米をさしおいて、新潟のコシヒカリを買うのは控えるべきである。でもそうすることで、北海道の米をさしおいて、新潟のコシヒカリを買うのは控えるべきである。でもそうすることで、北海道の農産物の質を向上させ、北海道の気候にあった品種改良が進み、その土地でなければ食べられない料理や、加工食品が生まれて来るだろう。その地方の人々に親しまれる食文化がその地方の生産物で作られていけば食は農家だけではなく地域のみんなが育てるものであると思えるだろうし、普遍性を持つ。ひいては昔何処の地方にもあった原料から製造まで地場産の特産品にもなるだろう。

茶路めん羊牧場は何を目指すべきか?

 茶路めん羊牧場は羊の生産から販売までの一貫経営をしているが、年間の出荷頭数は350頭程で、お客さんはオーナーや羊好きの個人からレストランや有機安全食品の流通組織、イベントなどで、羊の丸焼きを楽しむ方々に食べてもらっている。まだ地元や北海道内の消費率は低いが、ほとんどが直接、間接的に顔の見える関係である。腹を割って食材の良し悪しを話し合える、友人同様の付き合いをしているシェフも多い。もちろん食肉の製造における鮮度や衛生面には注意を払っているが、過剰にはしていない。できるだけ無駄を作らないで、命を無駄にしないために、内臓や骨や頭を買い求めてくれるお客さんも少しずつ増えてきた。今どうにか、このような状態で仕事ができるのは大量生産せずに、大きなスーパーやデパートなど大流通に乗せていないからだと思う(実際羊の場合そのような生産も販売も不可能に近いのではあるが)。
 もし万が一異物混入などの事故が発生したとしても、直接知らせてくれる関係にあることを願っている。今後とも羊の出荷量を倍に増やしたりすることなく、やりくりできる方法を試行錯誤しつつ、健康な羊の生産を目指したい。今の羊の飼い方は安全な飼料を選んでいるとはいっても穀類も与え、また駆虫薬も与えつつ肥育して早期仕上げのラム肉を生産しているが、もしみんなが倍の値段になっても了解してくれるなら、時間を掛けて、草だけで自然に育てた2〜3歳のマトン肉生産もできるだろう。作る人食べる人が一緒になって、少しずつ食を自分たちの手にできるようにしていきたいものだ。

(武藤 浩史)

 

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最終更新日: 02/02/06 .
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