茶路めん羊牧場便り

LAMB LETTER

ラムレター 第12号(02年夏・一部ばっすい)

茶路めん羊牧場 武藤 浩史
発行 小西 徹

※管理者にてウェブ用に目次ページ等を追加しています

 

目 次:

狂牛病(BSE)上陸


 英国で発生した狂牛病(以後BSEと表記)がEU諸国に広まるなか、昨年9月ついに日本でも発症が確認された。現在パニックをあおるような情報が飛び交い通剰反応をしているが、溢れる情報を冷静に判断しなけれぱ、ただ右往左往するだけで、今囲の事件に潜む本質的な問題の解決には至らない。これは、ある日ふって湧いた天災ではなく、起こるべくして起こった完全な人災であることを、認識しなければならない。なぜ草食獣である牛の生理に反してまで骨粉飼料を与え、育てねばならないのか、どうして輪入飼料に依存しなければ、やっていけないのか、身の危険を犯してまで追求する経済効率とはなんであるのか?デフレスパイラルの世の中で、安かろう良かろうと消責者が支持することも、それらをあおっているのだと恩う。そしてグローバルスタンダードとはアメリカの食料戦略に繋がっていることに我々は気付くぺきだ。

グローバリズムの罪と罰

 奇しくもアメリカのテロ事件と、日本でのBSEの発生が同特に起こった。テロ事件の翌日、テレビの画面には上段がテロ関連、下段にBSEの情報がテロップで流されていたが、私の頭の中では二つの事件が一つの練で緒びついて見えた。
 アメリカを中心とした先進諸国が目指す経済のグローバリズムとは、自由貿易の名のもとに世界規模での消費拡大をあおり、キーポードーつで夜中にキャッシングして、ショッピングできる状況を作り出した。自国での消費の落ち込みを補うために、新たな消費地を求めて、発展途上国への物流を円滑,にし、利益だけを吸い上げる構造を作った。そこには富める国のおごりがあり、物質的な豊かさを押し売りすることで、途上国の環境を被壊し、民俗や宗教の価値感まで踏みにじるような結果を招いた。生産性至上主嚢、ローコストオペレーション、そして効率化による企業の合併再編は、多くの失業者を出した。効率的利潤の追求が、グローバルスタンダードを求めているのだが、世界を共通の物差しで計れるほど我々が背負っている問題は単純ではなく、その物差しでは計り切れない価値の切り拾てが、社会の混乱を招いているといえるのではないか。

 京都議定書と核廃絶決議案に反対するアメリカのいう正義とは、私には手前勝手な理屈にしか思えない。全くの高額消耗品である爆弾1個がいくらで、一つ落とせぱ誰が儲かり、誰が悲しむのか。テレビゲームのような映像を世界中で、リアルタイムで見ている子供達は、何を正義と感じて成長するのか。自爆テロを実行する人間も、正義の旗の下戦う兵士も、攻撃の犠牲になる民衆も、地球という神から生まれてきた命なのだ。拳を握りがらアメリカの正義や、自由主義諸国の連帯を訴えるプッシュの姿は、イスラム社会の民衆にはヒットラーの演説に見えるかもしれない。アメリカ中心のグローバリズムの流れの中で、日本はどんな役割を演じるのか、良く考えねば日本という個牲を埋没させてしまうだろう。このことは同時に日本社会の中での都布と地方、大企業と地域産業、開発と環境などの問題にも繋がっていると感じる。

狂牛病(BSE)は始まりに過ぎない

 世界規模で、物が簡単に右から左に流れる視在では、英国の骨粉飼料やアメリカの遺伝子粗み換え銅料が、無節操に雪崩れ込んでくる。問題は、BSEでゼラチンや化粧品までが、脳味噌を食べるのと同じレペルで危ないと騒ぎ立てることではなく、身の回りに存在する食料や、環境に潜む危険を回避するための、抜本的な防衛手段を見つけだすことに関心を向けなけれぱならないということだ。そうでなけれぱ、第二第三のBSEのような人為的な原困不明の疾病がおこるのは、火を見るよりも明らかであり、そしてそれらが世界中で連鎖的に発生する危険な状況をつくりだすにちがいない。

 日本の農産物の中で、自給率が高く安価な卵を作り出しているのは輸入飼料だ。この卵に象徴されるように、現在の日本の畜産から輸入飼料を排除すれば、たちまち生産できなくなる。そして、その最大の輸入先はアメリカであり、もしアメリカの穀倉地帯が異常気象や突然の病害で、壊滅的ダメージを受けたならひとたまりもない。またその餌に今回の狂牛病のような人命をおびやかす疾病の原因が潜んでいたとしたら・・・・。考えただけでも恐ろしいことだ。だから、私は遺伝子組み換え作物に疑問を持たざるを得ない。

 安全と言い切る企業は、10年後の人体に及ぼす影響まで考えてはいない。遺伝子組み換え作物の成分や味が、非遺伝子組み換えのそれと差が無いという理由(実質同等性)から安全であると言っているだけだ。そして、日本の厚生労働省と農水省は、アメリカの言い分を丸のみして、自ら検証することもなく、ヨーロッパで反対している遺伝子粗み換え食品や、飼料を全面的に受け入れる大口消費者になっているのだ。

 消費者運動により、組み換え食品の表示を認めたものの、それは組み換え食品を含まないとの表示に止まり、組み換え食品を使用という表示の義務はなく、加工品においては野放し状態である。このことは、骨粉飼料を牛に与えないようにとの通達に止め、禁止しなかった今回の問題と同じレペルだ。彼等は、我々が知り得ない情報や専門的知識も備えているはずだが、国民のためを第一とせず、企業利益や外圧を第一に考える判断をする。古くは水俣、四日市などの公害問題、最近では非加熱製剤による薬害工イズ事件でも分かるように、国民の生活を守ってはこなかった。骨粉飼料にしても、1996年英国の狂牛病由来の人新型クロイツフェルトヤコブ病発生時点で、骨粉飼料の輪入の禁止処置を義務付けれぱ未然に防げた。起こってから尻拭い的に規制し、急遽検査システムを導入したり、骨粉飼料を焼却して、費やす費用(我々の血税)などかけずに、一つの英断で、すぺて防げたのだ。

 さて行政の体制の問題もさることながら、さらに本質を追求するならば、1円でも安い餌を与えて、1リットルでも多くの牛乳、1日でも早い肉の仕上げをしなければならない畜産とは何なのだろうか?自由主義経済体制下では、農産物も自由化が原則であり、国際競争に打ち勝つためには更にコストダウンが使命である。企業は、より搾れる餌や、より収量のあがる品種の改良や、人件費を削り、短時間で仕事をこなす機械やシステムを開発し、売り込むのだ。たとえば半世紀前に、化学肥料は世界の農業を根底から変える画期的な技術として誕生した。窒素、リン酸、カリの三要素を与えれば、正比例して、その収量は伸び、毎年投入することで、永続的に収獲量は推持でき、痩せた土地へ投入すれぱ、収量の増加が可能となり、その技術をフォローする形で、農業の機械化が計られ、農地の開発も画期的に進んだ。化学肥料への依存と過信は半世紀の間に土を疲弊させ、土−作物−家畜の繋がりが作る自然環境を断ち、病虫害を発生させ、それを防ぐために次々と農薬が開発、乱用され、土壌の汚染から水や空気の汚染まで引き起こし、現代病の原因もつくり出したのだ。

 自然には、未だに分かり得ぬ神秘的な連鎖があるはずなのに、その一部を知ったことで、分かったかのように錯覚し、直接的なメリットだけを取捨選択し、普及したことが実は取り返しのつかない害をもたらした。現在はその過程が続々加速化され、修正がきかない状況を作り出し、未熱な技術を利益に直結させ、あくなき利潤追求の経済行為が横行している。そしてそれを支えるのが、経済のグローバリズムなのである。

 テロリズムは、絶対に許される行為ではないが、アメリカ同時テロやオウム真理教事件が起こる背景には、我々が享受している日常が、作り出している社会のひずみがあることは事実だろう。狂牛病や、薬害工イズや、0−157など我々の日常生活を脅かす事件も、同じく現代社会のひずみの産物であり、これらが生まれた背景を考えると、我々一人一人の意識が変わらなければ忍び寄る危険からは逃れられない。遺伝子組み換え、環境攪乱物質、地球温暖化、第二、第三の狂牛病は、すぐそこに迫っている。

狂牛病(BSE)を検証する

 1996年、英国で初めて狂牛病の人への感染が疑われた際に、ラムレター6号誌上で、狂牛病について解説し、警鐘を鳴らしたが、まさか、いややはりというべきか日本でも発症してしまった。ここで、私の知りうる限り、事実に添った情報をお伝えしたい。始めにBSEに関わる出来事を下記の通り年表整理した。

年代
英国
EU
日本
1974 オイルショック    
1985 BSE初発確認    
1988 BSE牛由来の肉、内臓の飼料原料使用を禁止。BSE及びBSE疑似感染牛の屠殺、焼却処分,反芻獣への肉骨粉飼料使用禁止 英国からEUへの肉骨粉飼料輸出増大 英国、EUから肉骨粉飼料が日本へも輸出(1988〜1996)
1990     英国から牛輸入禁止
1996 人新型クロイツフェルトヤコブ(以後VCJDと表記)初発確認。
豚、鶏、馬、魚への肉骨粉飼料給与の禁止。すべての30ケ月齢以上の牛を屠殺処分
英国から肉骨粉飼料の輸入禁止 英国からの肉骨粉飼料の輸入中止。
肉骨粉の反芻獣への給与を制限するよう指導(禁止ではない)
1997     EUから,骨粉飼料輸入禁止
2001  

30ケ月齢以上の牛はすぺてをプリオン検査。
すべての家畜に肉骨粉使用を暫定禁止

国内でBSE初発。EUからの牛生体、牛肉、牛肉加工品、羊、山羊の肉、内臓輸入禁止。
すべての牛を対象にプリオン検査と危険部位の廃棄。
2002     12ケ月齢以上のすべての山羊、羊の危険部位廃棄

 元々、オイルショックによる石油価格高騰が原因で、英国では骨粉飼料製造行程における加熱時間と温度を甘くしたため、プリオンが十分不活化(分解)されない骨粉飼料が作られた。が、石油価格が元に戻ったあとも、省エネ製造は継続された。高温長時間処理はコストがかかるだけでなく、成分的にも品質が劣るためである。この頃から牛の乳量生産能カが飛躍的に伸び、低価格で、高エネルギー高タンパクの飼料が求められたことが、骨粉飼料が広まった背景としてある。そして、オイルショックの約10年後に、英国でBSEが、さらに10年後に人への感染が疑われるVCJDが発生した。牛、人ともに潜伏期間の長い疾病である。慣概すぺきことは、国内での骨粉飼料の使用を禁止した1988年以降に、EUへの骨粉飼料の輪出が増大していることだ。英国は自国でかかえた在庫を輪出したのである。まさに、危険を知って輸出された非過熟血液製剤とオーバーラップするが、この頃から日本へも、英国やEUを経由して、汚染された骨粉飼料が入ったと思われる。そして、その約10年後にEU諸国でのBSEの発生が次々と報告され、日本では2001年に初発を見た。ということは、英国でVCJDが初発した10年後、すなわち2006年頃からEUや日本でも人への感染例が起こりうると予測される。ただ、英国でのBSE発症例は、EUに比べて桁外れに多いので、日本での発症数が少ないことを願うが、今後のBSE発症数の推移を見守る必要がある。

 さて、ここまでの事実関係を点検してみると、まずオイルショックという中近東(イスラム文化圏)と石油メジヤー(米国資本)との争いが引き金になっている。一方、畜産の世界では、家畜の生産能カが飛躍的に伸び、また国際競争力をつけるためのコストダウンが求められ、その手段として、牛に共食いさせる骨粉飼料が必要とされた。

 最初に被害を受けた英国は、大量の不良在庫となった骨粉飼料を輸出するという、倫理よりも経済優先の貿易を進めた。この背景には、欧州がEU統合して、米国に対抗する経済圏樹立の時代であり、EU圏内での貿易が活発になったこともあるかもしれない。そして我が国は、英国でのBSE騒動を察知していたにもかかわらず、水際での防疫対策を怠って、危険な骨粉飼料の輪入を認め、飼料メーカーが、牛の餌へ骨粉飼料を混入させた疑いがある。

 先日、NHKテレビでイタリアからの輸入骨粉飼料についての番組で、メーカー側は、農水省の規制基準をクリアーして、商社を通じて輸入した飼料を購入したと安全性を主張するが、原料の産地までは把握していない。商社は輸出先の製造メーカーと輪出国の照明を確認しても、元々の原料の出所までは認識していない。農水省は、安全対策上イタリア政府に義務づけた加熱処理が、実際はプリオンを不活化するのに不十分な処置であったことを認めようとはしない。グローバルトレーディングで世界中を物が駆け巡っている内に、真実は闇の中に葬られ、誰もが責任転嫁し、原因究明が困難になってしまった。

 そんな流れの中、元々廃棄物資源のリサイクルと、飼料のコストの低減の仕組みとして考案され骨粉飼料が、病気の原因になった。今度は、この廃棄物が行き場を失い、屠場では、頭や内臓の焼却のために石油を消費して、CO2を放出している。そのコストや環境汚染のツケは、誰が払うのか。いったい何のための効率なのか。物の価値が、分からなくなってしまった世の中で、私達は無為に流されることなく、今一度個々の価値観を明確にしていく必要があると思う。

 経済のグローバリズムが、本当のところ誰のため、何のために必要なのか、政治や貿易の問題だけではなく、私達の日常生活の上で重大な問題である,そして、狂牛病に対するお役所の対応も、テロに対するアメリカの報復も、根本的な問題解決の手段にはなりえないだろう。これからの世の中は、便利な情報や商品も、即座に世界中から手に入るが、反面、治療方法のない疾病や、テロもまた同時に起こる危険な時代であることを自覚しなければならないのだと思うと、背筋が寒くなる。

スローフードな人生

 昨年、イタリアで生まれたスローフード運動を紹介した『スローフードな人生』という本を執筆された島村菜津さんに、お話を聞いた。そもそも、ローマの泉の広場に計画されたマクドナルドの出店に反対するために生まれたこの運動は、その後、形を変え、地方の食文化の見直しと、伝統的な食を守る活動へと進んだ。食という人間の基本的営みが豊かになることは、そこから派生する人間生活の様々な側面に繋がっていく、という理念を実践すぺく様々な取り組みみをしている。例えば、子供達の味覚の教育の大切さにカを注いでいる。味覚の豊かさが、表現カの豊かさを育てるというのだ。スローフードな人生観を持つことが、未来の可能性をも引き出すというのは、非常に共感を誘われる所だ。「スローフードとはファーストフードの反意語ではなく、ゆっくり食事をすることでもなく、それはすぺてとの関係性の問題だ」との説明に、妙に納得した。誰でも、その関係性に繋がるキーワードは持っていると思う。そして、その関係性の根っこは唯一のものではなく、多くの根っこがそれぞれの考えで存在し、自分と関係をもつ何かとの繋がりを作りながら、幹を作カへ繋がっているというような感覚を持った。私にとっての羊も、その関係性へ繋がるキーワードだと思える。それぞれのキーワードは、仕事でなくても趣味の趣味もあるし、日常生活で何かこだわっているもの、継続しているものの中にあるかもしれない。今自分が興味を持ち、取り組んでいることの追求が、自分の満足だけではなく、関係を持つ人達の満足の一部にも関わり、自分の営みも多くの人達との関係によって成り立っていると感じられれぱ、その関係性は心地よいものになるにちがいない。

 食に関していえば、生産者や製造者の考えが見えない、その素材が育った風土が感じられない画一化された商品からは、いくらパッケージが洒落ていても、厳しい衛生基準や安全基準を満たしていても、それは一方的な関係性でしかない。また、消費者が生産者へ課す要求ばかり厳しくすれば、それはバランスを欠いた関係性である。子供の頃、近所の店へお使いに行ったのを思い出す。豆腐屋さんでは、水に浮かんだ豆腐を優しく素手ででつかんで、家から持ってきた鍋に入れてくれた。八百屋さんでは、根元に土のついた野菜を、新聞紙にくるんで買い物篭に入れてくれた。お肉屋さんの大きな冷蔵庫には、豚の枝肉が吊り下がり、スライスした肉を竹皮に乗せ、竹皮の端をぴゅっと裂いて紐にして、手際よく結んで渡してくれた。魚屋さんでは、目の前のまな板の上で、見事な包丁さばきで三枚におろしてくれた。かけ声と挨拶があり、誇りと信頼があった。もちろん、ノスタルジックに回帰することが、問題の解決方法とはいかない複雑な社会情勢や、当時は心配しなくてよかった環境問題などいっぱいあることはわかる。しかし、優しさと信頼が、パッケージに印刷された文面ではなく、直接感じられる関係性を持っていきたい。流行り言葉で終わらないスローフード運動の広がりに、期待したい。

 BSEが私達に教えてくれたことは、、牛肉が危ないという単純な問題ではなく、今の社会の歪みの連鎖の末端の露呈であり、ここを糸口に、歪みを正常にすべく糸を手繰ってほどいてゆく作業を始めるように、危険信号を発信してくれているのだと思う。それは、拳を振り上げて責任を糾弾するだけで解決する問題ではない。毎日の食生活から、社会との関係性を喚起することから始まるのだと思う。米粒一つが、世界情勢に繋がっているグローバリズムの世の中だが、昔、食事の度に親から言われた「お百姓さんが大切に育てた米粒を残したら罰があたりますよ。」の言葉が、実際に感じ取れる関係性を、食卓に取り戻すことが必要なのではないだろうか。

(武藤 浩史)

 

ホームページへ

羊仕切り

最終更新日: 03/02/19 .
Copyright 1997-2003 TAKASE Shun-ichi. All rights reserved.