NPO法人エトセトラ / Qでつなごう!幸せの子育て・目次

幼児編・あとがき

 ノーベル経済学賞を受賞した経済学者、ジェームズ・ヘックマンは問いかけています。[41]

 教育を投資と考えたとき、どの時期に時間とお金を費やすべきか。

 おそらく多くの人が「小学校に入学したとき」とか、「小学校の高学年になってから」とか、「中学生になってから」あるいは「高校や大学に進学したとき」などと答えるでしょう。
 しかし、ヘックマンの答えはまったく違います。
 次のグラフはヘックマンらが統計学的に検証したエビデンス(科学的根拠)のあるデータです。[42]

 結論から言えば、「年齢が小さいうちほど投資効率は高い」ということです。これをあらっぽく言えば「学校にあがってからでは手遅れだ」ということになるでしょう。これが経済学のエビデンスです。 では、なぜ私たちは「学校にあがってから時間とお金を費やすべきだ」と考えてしまうのでしょう。 それは、「勉強は学校に始まってからするものだ」と思っているからではないでしょうか。多くの人がここで考える「勉強」は、教科書を読むことやテストで点数をとることをさしていると思うのです。しかし、ヘックマンの言う投資とは、テストで点数をとるための勉強に限定されていません。我慢する、やり抜く、ルールを守る、うそをつかない、他人に親切にするなど、勉強とは直接関係ないようなことも含めて「投資」と呼んでいるのです。著書『幼児教育の経済学』でヘックマンは次のように言います。

 子供が成人後に成功するかどうかは幼児期の介入の質に大きく影響される。スキルがスキルをもたらし、能力が将来の能力を育てるのだ。幼少期に認知力や社会性や情動の各方面の能力を幅広く身につけることは、その後の学習をより効率的にし、それによって学習することがより簡単になり、継続しやすくなる。[41]

 いわゆる「学校の勉強」が出来るようになるには、学校にあがる前の様々な経験が役立っているということです。このことは私の三十年間の教員生活でなんとなく感じていたことでした。小学校にあがってくる子供たちを見ると、一年生の段階で勉強についていけずに悲しい思いをする子がいます。学校生活が始まったばかりで、なぜこんなにも差があるのだろうと思っていました。しかし、まさか就学前の教育が、これほどまでに意味を持っているとは、現在までまったく気づかずにいました。

 『学力と経済学』の著者、中室牧子氏は言います。[43]

 経済学者は「子どもの目がキラキラするようになった」とか「学校が活気にあふれている」などといった、人によって見方が変わってしまう主観的な表現で「教育に効果があった」といったりはしません。また、自治体や政府の報告書にやたらと登場するような、「満足しましたか」と子ども自身に聞いたアンケート調査の集計を「エビデンス」と呼ぶこともありません。あくまで、客観的な数字をもとに事実を示します。

 別なデータを紹介します。これもヘックマンによるエビデンスです。読者のみなさんは右のグラフからどのようなことを読み取りますか。多くの人は「所得が高い家庭の子ほど学校の成績がいい」という読み取り方をするのではないでしょうか。しかし、経済学はこのグラフからまったく別な情報を読み取ります。たとえば、次のようなことです。

 学校教育が「負の連鎖」を断ち切る可能性は小さい。

 これは、学校にあがってからも学力差が縮まらないからです(日本にもデータはあります)。
 次のようなことも読み取れます。

 格差のある状態で平等な教育を行えば格差は拡大する。

 格差は6歳からすでにあります。その状態で「平等な教育」を施していけば、できる子はますます成績を伸ばし、勉強が苦手な子はわからないことが増えていく―――というシビアな事実です。

 子育てに成功や失敗はないと思います。子供自身が持っている可能性は無限です。
 しかし、効率の良い・悪いはあるでしょう。その効率は、ひとつがよければ次々とうまく行き、子供の人生が豊かになり、家族も地域も幸せになる、そんな好循環を生むと思います。反対に、効率の悪い子育ては、親も本人も苦しみ、悲しみ、大人に成長してからも負の連鎖から抜け出せなくなるような気がします。そんな極端な話はないだろうと言われるかもしれませんが、現に社会は二極化しています。貧困の差がどこにあり、どこから手をつけていけばいいのかという問題にこそ、経済学のエビデンスが役立つのではないでしょうか。教師としての立場はまた別にありますが、経済学の結論を真摯に受け止めたいと思います。 そして、その上で教師としての役目を果たしたいと思います。
 TOSS代表・向山洋一氏は2015年のサマー・セミナーで次のように話されました。[44]

 教師は皆に等しく向かうけれど、とりわけ困難を抱える子、寂しさを感じている子、自分に自信が持てない子には手厚くあって欲しい。

 これが教師の役目だと思います。

水 野 正 司

[41]ジュームズ・J・ヘックマン『幼児教育の経済学』(東洋経済)34
[42]Skill Formation and the Economics of Investing in Disadvantaged Children(James J. Heckman)/Science
[43]中室牧子『学力と経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)19‐20
[44]師尾喜代子『教育トークライン』10月号(東京教育技術研究所)76

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