沿 革

 展開

 昭和20年8月15日、それは忘れ去ることのできない終戦の日である。 世界地図はぬりかえられ、墳墓の地をきめて暮らしてきた千島・歯舞離島・樺太・朝鮮・満州・台湾等 が異国の地として扱われるように急変した。そして、母国のどの土地に立ったらよいのか、考えざるを 得ない羽目におかれた。 そこに、残された西竹の大地があった。いち早く、復員軍人・千島よりの引揚者が先発として乗り込ん だ。14号より上が急ににぎやかになった。昭和20年の初冬に十数戸が入植し、入地小屋の建築に着 手して冬を越した。明けて21年22年と、次々に入植し、昭和23年には満州開拓義勇隊よりの引揚 者が入植し、満3年後には西竹甲地区といわれる開拓地がほとんど拓けたのである。 昭和26年には本州の主に岡山県からの集団入植、昭和29年には群馬県からの集団入植があり、第二 俣落地区がほとんど開拓されるに至った。人力から畜力へ、そして機械化へと、開拓のテンポは早めら れ、それに伴って交通・文化の著しい発展向上は目をみはる変わりかたであった。

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