部落の誕生 東西竹部落
◆東西竹部落
西竹地区は、計根別よりから開け始めた。昭和15年6月、小原万一氏が
39線14号の開拓小屋にとまって、自分の土地に鎌をいれたのが始まりで
ある。荒川で米をといだら鍋の中にヤマベがはいってきたり、熊が鱒をとっ
てかためておいたりしていた。兎は、人を見ても逃げようともしなかった。
戦前は、開拓が遅々として進まず戸数も少なく、北西竹部落に属していた。
学校は計根別・俣落なので、1年生は通学させることができないので、就学
を延ばしてもらった。エンバク・ソバなどは熊にあらされるありさまで、主
に炭を焼いて現金収入を得た。馬が買えず、木炭代をためて、ようやく購入
するといった状態であった。炭を背負い、サンダワラをはいて計根別の市街
をノッシノッシと胸を張って闊歩したさまは、異様だったとはいえ、開拓魂
の発露として話題をまいた。
戦後急に入植者が増したので、鱒川を境に元部落から分離し、新部落をつ
くった。位置が元西竹の東にあるので東西竹と命名し、昭和22年1月より
発足した。その後、上西竹が分離し、当時13戸だった部落は現在8戸とな
った。
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