部落の誕生 本俣部落

 昭和30年秋に、北進部落から分離する話し合いが、進められた。それまで は、ポンマタオチ川流域から荒川流域21号上の全地域が北進という部落で一 括されていた。(西竹の)地域全体の三分の一という広域で、常会(編集注  部落の集会)は3ケ所でやるといった状態で、会長さんは、これまたご苦労の ことだった。
   それで、昭和31年1月より地名のポン俣落川の名をとってポン俣部落と名 づけ、西共栄付の俣落分家をも含めて10戸で発足した。32年には共同作業 所兼検診所として、集会所を建設した。38年ポン俣トラクター利用組合を組 織して、道貸与トラクターを導入し共同利用を図った。現在は7戸、初代会長 中浦三七氏。


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