電気

@有線放送 ・計根別から西竹へ
 アンプを計根別に置いて、線で各戸のスピーカーをつないで、音楽やニュース、そして諸連絡 をするしくみで、便利であった。
 24年計根別から28年奥西竹ORKとして竹口嘉雄農協支所長が放送する。昭和31年7月 以降は、保岡茂夫氏が担当する。その後、須崎源蔵氏担当、運営委員長内野栄寿氏。電池式で行 い、設立資金7万3千円の寄付(役場 農協 雪印乳業 営林署)と各戸500円の負担で設置。 労力奉仕で設立。

・中標津・俣落から北光方面へ
昭和24年にNRK設置。27年に俣落有線放送が完成し、一戸負担3400円。原野にスピー カーから音楽が聞こえることは、文化の恩恵に浴した喜びであった。その後電化されて、ラジオ ・テレビ・電話が設置されるに及んで、活用度が少なくなり、NRKは37年に廃止された。

A農村電化
 軒がつながるようなところでないと、電気はつかぬものなりと頭から思い込んでいた。この考 えは、意外にはやく打ち破られた。それは、心から大喜びする出来事であった。
 昭和28年10月、北光・北進の40戸に点灯し、負担金一戸3万円ずつ支出した。ランプよ りは経費は多くかかるが、明るくて便利だといっていた。
 昭和36年12月計根別農協地区の西竹一円に点灯された。これで、全戸にもれなく電灯がつ き、ランプからサヨナラをして、文化の恩恵に浴するようになった。

Bラジオ・テレビ
 昭和33年に滝ケ平茂氏の家にテレビがはいった。相撲放送時には、みんなが押しかけ、毎日 大入り満員であった。それからボツボツはいりだし、5・6年後にはつけない家が少なくなり、 現在は全部入ってしまった。


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