NPO法人エトセトラ / Qでつなごう!幸せの子育て・目次

問題44

『頭のよい子が育つ家』(日経BP)
『わが子を天才に育てる家』(PHP研究所)
『子どもの才能は間取りが育てる』(マイコミ新書)

これらの本には、子育てにおける共通した主張が書かれています。どんな主張だと思いますか。

ヒント

 勉強する場所に関係します。

 国立青少年教育振興機構が平成26年に発表した調査結果によりますと、「自分だけの部屋がある」と答えた子どもの割合は、小学1年生で25%、6年生で45%、中学校2年生で66%、高校生2年生で75%という結果でした。[32]

 中学生になるまでには約半数の子どもが「自分だけの部屋」を持っていることになります。この結果が多いか少ないかは別として、子どもに部屋を与える前に知っておくべきこととして3点をあげておきます。

 (1)日本の住宅の移り変わり
 (2)日本独自の生活文化
 (3)勉強ができる子の生活環境

 それぞれについて説明します。

 今から70年前の日本は、戦争によって全人口の4分の1の人々が住む家を失いました。敗戦と外国による統治と住宅の不足。それらが要因となって住宅のカタチが大きく変わりました。 戦前までの日本の住居は寝食混合型か、田の字型が主流でした。寝食混合型は狭い家の場合です。ご飯は、ちゃぶ台の上で食べて、ご飯が済んだらちゃぶ台を片付けて、そこへ布団を敷いて寝るといった使い方です。広い家になると田の字型です。大黒柱を中心にいくつかの部屋があって、部屋と部屋の間はふすまで仕切られていて、ふすまを開け放つと一つの大きな空間ができるといったつくりです。食べる部屋と寝る部屋は別にすることができますが、その部屋を完全な個室にしてしまうわけではありません。寝食混合型にせよ、田の字型にせよ、壁で囲まれた個別の部屋をつくるのではなく、家族同士の生活が「見える」あるいは「感じられる」ようにつくられていたのが戦前の日本の住宅でした。

 戦後はそれが大転換します。住宅不足の国土に欧米化・民主主義化の波が押し寄せて、L(リビング)とDK(ダイニングキッチン)に加えて、壁で仕切られた完全なる個室のある家が憧れのカタチとなります。国民は経済の復興とともにその憧れのカタチを手にしました。目的ごとに部屋が独立して存在し、個人のプライバシーを尊重するための個室を基本とした家が一般的な住宅となったわけです。

 しかし、この変化には落とし穴がありました。「見える」「感じられる」という日本独自の生活文化までも切り捨ててしまったことと、欧米には欧米の生活文化があることを考慮せずに形だけを取り入れてしまったことです。日本ホームズの取締役や住宅に関する政策提言の経験を持つ松田妙子氏は戦前の家族生活を次のように説明しています。[33]

  聞いてはいけないことは聞かないふりをし、見てはならぬものは見ないふりをして、お互いをおもんぱかる心がけで暮らしていた。

 お互いが「見える」「感じられる」からこそ、お互いを思いやる生活文化が定着していたことがわかります。松田氏はこのことを「遠慮」という言葉でまとめています。

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