NPO法人エトセトラ / Qでつなごう!幸せの子育て・目次

問題41 「虐待」にあたる四つの行為とは?

 連鎖について考えてみます。虐待は連鎖すると言われます。「虐待を受けて育った子は親になった時に我が子を虐待するケースが多い」というわけです。このことを西澤哲氏は次のように解説しています。[21]

 子どもに暴力をふるう親の中には「言っても聞かないなら、叩いてでも言うことを聞かせるのが親の務めだ。子どものために叩いているのだ」と主張する人がいるが、実は「子どものため」ではなく、「親のため」に叩いていると言える。子どもが言うことを聞かないで困るのは親である。子どもが言うことを聞かない事態に直面して親は不安になったり、親としての自分の能力(有能さ)に疑問を抱いたりしてしまうのである。

 「泣きやまないから」の背景にも親のこうした心理状態が存在しているのではないでしょうか。また、「しつけとしてやった」の背景も同じではないでしょうか。

 西澤氏は次のように続けています。

 虐待傾向のある親には、その成育歴などのために、自尊感情や自己評価が低い人が多い。そうした親にとって、「自分の子どもすら言うことを聞かない」という状況は耐えがたいものとなる。そのため、「叩いてでも子どもに言うことを聞かせよう」とし、そうすることで子どもが自分の思うようにふるまうと、安心するのだ。

 この指摘は、とてつもなく巨大です。虐待の原因が親の成育歴から来る自尊感情の低さなどにあるとするならば、その親の成長過程に問題があったということになります。その成長過程とは、家庭教育であり、学校教育であり、社会教育でしょう。そうした教育のシステムに問題があるがために「連鎖」が続いているということです。

 2010年の夏に起きた「大阪二児置き去り死事件」を思い出します。母親は3歳の女の子と1歳9ヵ月の男の子をマンションの一室に残したまま育児を放棄しました。部屋のドアには粘着テープが貼られていました。トイレやキッチンで勝手に水遊びをするのを防ぐためだったそうです。冷蔵庫の中は空っぽでした。納豆やジュースなどをこぼすのを防ぐためだったそうです。母親には「しつけ(子育て)」の意志があったのだと思います。しかし、二人の遺体が発見された部屋の惨状は地獄でした。母親はこのマンションに引っ越して来てから5か月間に一度もごみを捨てていなかったことがわかっています。二人の幼な子はクーラーのない猛暑の部屋のごみの山の中で、折り重なるように亡くなっていたといいます。我が子をきちんとしつけようとする意志が見え隠れする一方で、殺意とも受け止められる残虐な放置をしてしまう母親の行動をどのように理解すればよいのでしょうか。裁判所の判決は「懲役30年」でした。一審での裁判長は次のように述べています。

 被告人が自分の意思で子供らを引き取ると決めたのであるから、被告人は母親として、責任をもって子どもらを適切に養育すべきであった。

 この判決について『ルポ虐待』の著者、杉山春氏は次のように主張されます。[22]

 だが、大人たちの厳しい意見の前で、自己主張ができなくなるのが、自尊感情が弱まっている若者の特徴だ。助けを必要とする人たちが孤立し、自分に向き合えず、助けを求められなくなることがネグレクトの本質だ。だからこそ、早い介入が必要になる。

 杉山氏の主張と西澤氏の指摘がつながります。虐待傾向のある親は、虐待をしようとしてやっているのではなく、むしろ、ちゃんとした親になろうとする意志を持って子育てをしているのではないでしょうか。しかし、子育てに関する知識の不足や生きてく上での自尊感情の低さなどから、その気持ちが空回りしてしまうのが「虐待の連鎖」という実態なのだと思います。だとすれば、この連鎖に歯止めをかけるのは教育の力によるところが大きいはずです。ひとつは、子育ての仕方を教える機会の創出です。今、日本の社会の中には、「親になるための教育」が欠けているのではないでしょうか。義務教育をはじめ、地域社会の中に「親になるための教育」の機会をもっと増やさなければ連鎖は止められません。もうひとつは、自尊感情を低くする教育の排除です。自立した若者を社会に送り出すために家庭教育、学校教育、社会教育があります。この三つの教育が自尊感情を低くする方向に機能しているとすれば、虐待連鎖の病巣はそこにあると思います。教育が若者を孤立させているということです。教育は、子育ての仕方を教え、社会を生き抜く気力を育むものでなければなりません。教えて、自信を育むのが根本原理だと思います。

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