NPO法人エトセトラ / Qでつなごう!幸せの子育て・目次

問題42 なぜ、明治時代の日本の子どもは泣かなかったのか?

 B 大切に、大切に育てていた

 「泣く必要がなかった」もう一つの要因は、日本の子どもたちが、驚くほど大切に育てられていたからです。これも多くの外国人が記録を残していますが、ここでは一つの印象的な例を紹介します。

 Pエドウィン・アーノルド:「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」

 これはどういうことかと言いますと、当時の子どもたちは、道路の真ん中でコマ回しをしたり、凧揚げをしたり、地べたに座り切って遊んでいたりするのですが、そこを通る馬車や人力車の運搬夫たちは、子どもを叱るのではなく、子どもの遊びの邪魔をしないようによけて通ったり、抱き上げて脇へ移したりしながら進むという風景をいっているわけです。交通機関が発達した現代の道路では、こんなことは認められるはずもありませんが、当時としては、馬車も人力車も重要な交通機関だったことに違いはありません。それでもこのように子どもの遊びを優先していた事実に驚きます。このことから言えるのは、子どもを大切に育てるということが社会の常識としてここまで定着していたということです。周囲の大人でこれですから、親の扱いはもっと格別です。イギリスの旅行作家、イザベラ・バードは次のように記しています。

 Qイザベラ・バード:「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊戯を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することができない。」

 外国人から見ると、それは「溺愛」や「甘やかし過ぎ」と映るほどに、子どもを大切に、大切に育てていたという記録がたくさん残っています。「泣く必要がなかった」ということの要因は、これだけ大切に育てられていたからということと、子ども自身に叱られてしまう要素が少なかったからということなのです。

【答え】

@叱られるようなことをしない子どもだったから

出題のポイント

解説の中では泣かない理由がいくつか出てきますが、選択肢の中で考えると答えは@になります。

 さて、体罰もなく、大切に、大切に育てられ、叱られて泣くこともなく育った子どもたちは、どのように成長していくのでしょうか。最後はこのことについて書かれた記録を読んでみることにします。

 Rフレイザー夫人:「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、過ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」「彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると、一日のうちに“大人”になってしまうのです」

 Sオールコック:日本は「子どもの楽園」である。

[24]渡辺京二氏『逝きし日の面影』(平凡社)第十章
[25]渡辺京二氏『逝きし日の面影』(平凡社)395

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