またまた、ご厄介なご質問なのですが、例えば
「3題問題をやってできたら、ノートを持ってきなさい。」
という指示をだし、早くできた子は黒板に計算と答えを書かせることが
よくあります。
そして、
「できない人は、黒板を写しなさい。写すのも勉強です。」
というのですが、本当に写しているだけの子が4〜5人いるのです。
その内の2名は、黒板に書くまで何もせず、黒板に書き始めてから
自分のノートに写すのが癖になってしまったようで・・・
(また、他の1名は軽いのですが言葉の障害をもち、書く時間が
他の子と比べるとかなり遅いのです。)
このままでいいのでしょうか?
私自身、何か決定的なことに気が付いていないのでしょうか?
【馬場】「3題問題をやってできたらノートを持ってきなさい」の
使い方についてです。
問題が3題しかなくて「3題問題をやってできたら持ってきなさい」
では途中のチェックを全員に入れることができません。
3題問題があるのなら1問目とか2問目を持ってこさせます。
時間差があまり無いなら2問目,時間差があるようでしたら1問目です。
すると1問めすら持ってこない子がいます。
そんな時は「まだ持ってきていない人,ノートをもっていらっしゃい」
と言います。
本当に分からない子には,そこでヒントを出してあげます。
ただし,短くです。「たてるだけをやってごらん」など。
それも難しい子には「2が立ちますよ。続きがんばっておいで」
ぐらい教えます。
それも難しい子にはたてる,かけるぐらいまでうっすらと答えを
書いてあげる。最後の「ひく」だけをさせる,なんて時もあるでしょう。
そしてここが大事なのですが,とにかくやってきたことを
心からほめるのです。よくやった,と。
何問かある問題の途中で持ってこさせるのはもちろん確認の
意味があります。
しかしもっと大切なのはこの「ほめる」ためだと思っています。
子ども一人一人のノートに教師が力強くほめ,丸をつけてやる。
ところが3問あって3問目までできて持ってこさせると,
全部できた子しかもってこれない。できていない子は教師に見て
もらえない。誉め言葉も励ましももらえないのです。
だから「よっしゃ,やってやるぞ」という気にならないのでしょう。
そうしたことをした上で「写すのもお勉強です」なのです。
「良く1問目だけでもがんばったね。後は写して良いんだよ」
という思想なんです。
<3問目までできたら持ってこさせる>
<できた子から黒板に書かせる>
<写すのもお勉強です>
これらは立派な技術です。しかもかなりすぐれた技術です。
授業を構成するすぐれたパーツです。しかし,それを支えるのは
「目の前の子の可能性をいかに引き出すか」という教師の心からの
働きかけなのだと思っています。(すぐれた技術による)
遅い子なりにがんばって写せば良いのではないですか。
少し手伝っても良いでしょう。少しずつ少しずつ力を付けていくのです。
「向山型算数」は教科書が出発ではありません。
「目の前の子ども」なのです。